天国にいる時、全員を好きになります。全員です。
誰かは好きだけど、誰かは嫌いということは、ありません。
全員大好きです。
なんでそうなるのかって?
それはもう、みなさんおわかりですね。
外のことはどうでもいいからです。
その人のことはどうでもいいからです。
その人がそのままその人であることに、深い理解と共感を得ます。
共感しかありません。
それは凶悪犯に対してもそうなのか?
もちろんそうです。
犯罪者だろうが聖職者だろうが一緒です。
犯罪者も聖職者も一緒だとわかるのが、天国にいる時のステータスです。
この状態を何と言いますか。
全員大好き。
この状態を何と言いますか?
「天国」ですね。
そうとしか言えないですね。
だから天国なのです、そこは。
考えるまでもないのです。
あなたは考える必要はありません。
考えるまでもなく、好きになる。
考えるまでもなく、すでに好き。
そしてにじみ出る好意はまた、相手を引き寄せる。
全員を好きだということは、全員から好かれ得るのです。
好意の交流が始まります。
出ていった好意は、好意として戻ってきます。
あなたは豊かになります。どんどん、どんどん。
あげたあめ玉は、チョコレートとして帰ってきます。
譲った席は、プレミアムシートとして帰ってきます。
どんどん豊かになります。勝手に。
なにも考えていません。
何の策も弄していません。
無計画、ノープラン。
無企画、無体裁、無鉄砲、無修正。
何もしていません。
何もしていないのに、これでもかというくらい、豊かになります。
欲しい欲しいと思ってた時には、何も手に入らなかったのに、何もいらないとなった途端、この有様です。(笑)
天国は無努力で全てが手に入るのです。
だから天国です。
しかし、何かを手に入れたいわけではありません。
何かが欲しいわけではありません。
何もいらないんです、別に。
何もなくていいのです。
ただここに居さえすれば。
それってどこ? っていったら、自分ですよね。
自分の内、真に自分自身であること。
「外」以外の唯一の場所。
天国。
こんな素晴らしいことがありますか?
自分の最も行きたい場所が、自分の内にあるなんて。
いつでもそこに行けるなんて。
何の努力も、手間もなく、そこへ行けるなんて。
招待状の威力です。
天国への招待状の威力です。
すごいものを持っています、我々は。
忘れている人が多いけど。
だから思い出してください。
「ああそういえばあったな」と。
そして使ってください。
せっかく持っているのだから、使ってください。
24時間365日、オープンです。
いつでも行けますし、好きなだけ居れます。
なんならそこで暮らしてもいいのです。
もう帰ってこなくていいのです。
おうちに居ながらそこへ行けるので、帰る必要はありません。
そこに居ついてしまって、いいのです。
…
ああ確かに、天国だな、そこは。
無いっていうことは、全てがあるってことだな。
あれでもない、これでもない、それでもないってことは、何でもないと同時に全部であるってことだな。
物理的に全てを手に入れることは不可能です。
普段の我々はその不可能にチャレンジする、ドン・キホーテです。
普段の我々は、「物理的な」チャレンジをしています。
物理的に、何かが何かであることを期待し、そして実際に手を下します。
現世に生きることって、ドロドロのマグマにスポイトで一滴ずつ水を垂らして冷ますような、何か永遠に終わらない労力を感じます。
賽の河原の石積みのような、ある意味地獄です。
しかしこれしか手立てを知らない我々は、これをやるしかありません。
空しいと知りながら、これをやるしかありません。
このチャレンジに、勝ち目はないのです。
ドロドロのマグマをスポイトで冷ますことは、ほとんど不可能です。
このチャレンジに対する我々が取れるベストな方策は、それをやめるということです。
エンドレスな労力を放棄するということです。
やめればすでにそこは、天国です。
そこに行くのに何の労力もいりません。
いえむしろ、労力は無くさなくてないけないのです。
労力地獄にはまりながら、天国に行くことはできません。
ただやめれば、そこはすでに天国です。
無くすって意外と難しいね。(笑)
簡単そうなのに、逆に難しい。
何でそんなにやめたいものにしがみつくのか、本当に謎。
でもいいんです。
できなくても何の問題もありません。
「それでいい」
それが天国なんですから。
コメント
いつも拝見させてもらってます。ありがとうございます。
天国への招待状シリーズ、すごく腑に落ちました。常に、絶賛、天国にアクセス中です。またよろしくお願いいたします。
お、それはよかったです!(^^)