天国への招待状 2

何も見ていません。

何かを見ているようで、何も見ていません。

そういう状態って、想像できます?

 

目を開けていれば、必ず何かが目に入ります。

必ず何かを見ています。

しかし、何かを見ていながら、何も見ていないのです。

 

そこにいながら、そこにいないのです。

 

物理次元にいながら、物理次元にいないのです。

 

その時、天国にいます。

地上のこの世界にいません。

天国にいます。

 

天国は死んでから行く場所ではありません。

今、行く場所です。

 

天国への招待状を、あなたも持っていますね。

そこへ行ってみましょう。

何もない、その場所に。

 

 

素晴らしいことです。

何もないって、素晴らしいことです。

全ては目に入っているのに、何もないんですよ?

全てはあるのに、何もないんですよ?

こんなに自由と無抵抗ってあるでしょうか?

 

生きていると抵抗に遭います。

同僚、家族、友人、恋人、見ず知らずの他人からも。

出る杭は打たれるじゃないけど、そんなに出ていないのに、ガンガン打たれます。

「ひえっ!」と引っ込みます。

打たれないように頭を抱えて縮こまっています。

 

その抵抗が0です。

外から受ける抵抗が、0です。

外側の何物にも気が向いていない時、真に自分自身の中心に居座る時、外からの抵抗は0です。

 

無抵抗、真の自由。

何かを見ているようで、何も見ていません。

人はそこに居るようで、誰もいません。

人々の攻撃は、まるで透明人間かのように、通過します。

次元が違うので、交差しないのです。

まったく交差しません。

 

天国って孤独なのでしょうか?

誰もいない天国は、孤独でしょうか?

 

満たされているので、孤独ではありません。

 

他人が孤独を埋めるのではありません。

モノやコトが孤独を埋めるのではありません。

孤独はそもそもありません。

そこは相対の世界ではなく、絶対の世界です。

埋まっていたり、隙間が空いていたりとか、そもそもしない場所です。

何もないに満たされている時、そもそも孤独とかありません。

 

誰もいないし、何もありません。

それってすなわち、空白で埋まっているのです。

真っ白なキャンバスは、真っ白で埋まっているのです。

それは何も描かれていないという見方をすれば、空白です。空虚です。虚無です。

しかし、見方を180°変えれば、それは空白で埋め尽くされているのです。

空白で隙間なく満たされているのです。

 

真っ白なキャンバス。

そこには誰もいないし、何もない、だからさびしい。

それは現実世界での見方です。

天国世界での見え方は、そこは白で埋め尽くされています。

白という純真無垢、ピュアで汚れのない真実で隙なく埋め尽くされています。

 

これが見方の転換です。

180°の転換です。

天国は非常に満たされているのです。この上なく。

 

 

天国への招待状。

それをあなたも持っていますね。

いつでも行けます、天国に。

24時間、365日やってます。

今、行けます。今。

 

天国には、誰もいませんし、何もありません。

何もない代わりに、全てがあります。

「あれ」や「これ」はありませんが、全てがあります。

だからもう何もいらないのです。

全てがあれば、もう何もいらないのです。

 

現実世界に倦み疲れたら、もう行ってしまえばいいのです、天国に。

 

天国は死んでからいくところではありません。

「今」行くところです。

24時間、365日、いつでもやってます。

 

天国への招待状はいつでも使えるということを、お忘れなく。

 

 

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