「本当はどうしたいのか」を改めて考えてみる

「本当はどうしたいのか」

これはついうっかり忘れますね。

日常の雑事にかまけていたら、ついつい忘れます。

ですから今ここで、改めて思い出してみましょう。

本当は自分はどうしたいのかを。

 

これは、「状況がどうなって欲しい」とか「他人にどうなって欲しい」とは違います。

自分が」どうしたいかです。

コントロールできるのは自分だけですから。

自分のことだけ考えましょう。

 

 

改めて。

どうしたいか。

どんなことが思い浮かぶでしょうか。

 

寝たい。

遊びたい。

旅行したい。

何もしたくない。

 

何かしらしたいことってありますよね。

でもそれが今すぐ出来るかといえば、たいていの場合はそうじゃありません。

人はたいていの時間、したいことをせずに、したくないことをしています。

 

この、「したいこと」「したくないこと」とは何でしょうか。

なぜそんな分類が発生するのでしょうか。

 

これはつまり、

「したいこと」=「伸び伸びと自分らしくいれること」であり、

「したくないこと」=その逆

です。

 

旅行、カラオケ、パーティ、買い物。

楽しいこと、したいことを思いっきりすると、どこまでも自分が拡大していくような伸びやかな心地よさがあります。

反対に、嫌な上司の元で仕事、行きたくない飲み会、家事、宿題、反省会。

したくないことは、自分が押さえつけられたような、窮屈で縮こまる印象があります。

 

そうです。我々はつまり、伸び伸びと自分らしくいたいのです。

それこそが、我々の根源的な願いです。

 

 

みなさんは実は、何かしたいことをしたいのではなく、のびのびと自分らしくいたいのです。

その願いを「~したい」という行為にブレイクダウンしているのです。

本当の目的は、何かを「する」ことではなく、自分らしく「いる」ことです。

 

「する」は「いる」を叶えるための、二義的な要素。

つまり、行為は目的ではなく「手段」です。

ここは勘違いしないように、注意しましょう。

 

「すること」が目的ではありません。

真の目的は、自分らしく「あること」です。

それをすることがその時点で、自分らしくなくなってしまっていたら、もはやそれをする意味はありません。

だから、「すること」に囚われないでください。

 

ずっと行きたいと思っていた旅行にやっと行けたとしても、その時点でそれが伸び伸びと自分らしくいられない出来事なら、もはや行く意味はありません。

過去の決定に囚われて、今この瞬間の自分を見失わないようにしましょう。

 

 

今、この瞬間、最大限自分自身でいること。

 

結局我々がやりたいのは、それです。

今この瞬間、100%自分自身でいれば、幸せであり、満たされていて、満足です。

例え外側の状況が厳しくても、どんなにハードに見えても、100%自分自身でいれば、幸せです。

 

「何をするか」という具体的な行為には、こだわらないでください。

旅行に行く、服を買う、おいしいものを食べる。

具体的な「すること」にはこだわらなくていいです。

それよりも、「今どの程度自分自身か?」にこだわってください。

 

ということはつまり?

 

そう、何をしててもいいのです。

あなたは何をしててもいいのです。

何をしてても、どこにいても、その時その場で、最高に幸せになれます。なることが可能です。

自分自身を取り戻しさえすれば。

 

あなたがやるべきことは、自分自身を取り戻すこと。

いついかなる時でも。

それだけがあなたが真にやりたいことであり、そこにこそ全てがあります。

そう、「自分」に全てがあるのです。

「自分だけ」にです。

 

外側の状況は何も関係ないのです。

外側の状況を、どうこうする必要はないのです。

あなたはあなたにコントロール可能な、自分をさえどうにかすれば、それで100%事足りるのです。

 

例えばあなたが言いにくい状況の中で、それでも勇気を振り絞って「ノー」というのはなぜですか?

それが「あなたらしい」からでしょう?

 

タフな状況を敢えて選択することは、あるはずです。

損することも、非難されることもあるはずです。

それでも敢えてその選択をするのは、自分自身でいたいからでしょう?

自分を曲げてまで欲しいものなんて無いからでしょう?

 

 

幸せは自分次第です。

満足も、自分次第です。

白馬に乗った王子様があなたを幸せにしてくれるのではありません。

あなたを幸せにできるのは、あなただけです。

コメント

  1. ごんざれす より:

    最近たくさん更新されていて、とても
    嬉しいです!
    いつもありがたく読ませていただいています、心の支えです

    私は今まで、自分を偽りながら周りと接していました、が、最近はこのブログのおかげで自分を出せて、成長できたなと思うことも増えました。
    しかし今日また、自分のあまりのコミュニケーション力のなさに自信を失い、波長の合うと思っていた友達ともどう接していいかわからなくなり、気分はどん底です。
    コミュニケーション能力は、今安心していればどうにかなっちゃうのでしょうか。それとも会話がままならないままでも自分がこれでいいと思えるのでしょうか。
    どうして私だけこんなにコミュニケーションが下手くそなんだろう、ととても悲しい気持ちです。
    今は視野が狭くなっているのかもしれないですが、これからどうすればいいのか不安でいっぱいです。
    なにかお言葉頂けたら嬉しいです

    • こーへ より:

      どもども~、コメントありがとうございます。
      えっとですね、それはどっちでもいいです。
      コミュニケーション能力はですね、あってもなくてもどっちでもいいです。
      コミュニケーション能力よりもですね、その瞬間真に自分自身であるかどうかを気にしたほうがいいと思います!
      その瞬間真に自分自身であれば、勝手にうまいことなってるはず。コミュニケーション能力とか気にしてないはず。

      外に目が行ってるから、そういうことになるのかと思うのですが、友達は失ってもいいし、自信も失っていいのです。
      何をいくら失おうが、絶対に失えないもの。
      それがあるから大丈夫です。
      それさえあれば大丈夫です!

      • ごんざれす より:

        返信ありがとうございます!!
        学校へ行く前にこーへさんからのコメントを読ませていただきました。自分でもびっくりなんですが、それだけで、なんだか気持ちが楽になって、実際、今日一日いい気分で過ごせました。もう、昨日と大違いな現実でした!ほんとに変わったんですよ!伝わりますかね笑
        とにかく伝えたいのは感謝です。
        ありがとうございます!人生救われてます!

        これからも応援してます!

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