実際に得ているものは何か?

このブログにたどり着いたということもそうですけど、人は割と多くの時間「探している」という状態にあります。

  • 幸せを探してる
  • 解決策を探している
  • パートナーを探している
  • 何か面白いものを探している

今回は探しているものをどうやって見つけるかというよりも、そもそも「探している」という状態が一体どういうものであるかを考えてみましょう。

多くの時間、無意識に「探している」という状態にありますが、それって一体どういうことなのでしょうか。

 

 

探している。

その時、どういう「気持ち」でしょうか?

 

いいか悪いかで言うと、あまりよくないのではないでしょうか。

不安だから、落ち着かないから、だからこそそれらを解消してくれる何かを探しているわけですから。

つまり、探している時の気持ちは、「不安」であったり、「落ち着きのなさ」です。

 

そしてその状態に、たいていの場合気づいていません。

探すのに一生懸命で、その時の自分の状態に、自分で気づいていません。

 

「探している」時の状態は、不安や落ち着きのなさであり、そしてその状態に自分でも気づいてない、というのが一般的でしょう。

 

 

しかし実際のところ、人生において最も着目すべき点は、その見逃している「気持ち」です。

気持ちが全てです。

「何をしているか」ではありません。

なぜなら「何かをする」のは、その気持ちが欲しいからこそ、やるものだからです。

欲しい気持ちを得るために、そのための「手段」として、何かをします。

最終目的はあくまで、気持ちです。

 

「気分」がすべて
「気分」がすべてじゃないですか? よく考えてみたら。 どんなに沢山お金を持っていても、社会的な成功を収めていても、気分がよくなければ意味なくないですか? 逆に、見た目がどんなに最悪な状況であろうとも、気分がよければそれでOKじゃないですか?...

 

いい気分を得るために温泉に入るとか、いい気分を得るために甘いものを食べるとか。

そして「探している」の時は、「探している」という行為によって、気分の悪さを得ています。

あるいは、「探している」という行為によって、気分の悪さを持続させています。

 

もちろん、「探す」という行為は、気分の良さを得るために行っていたはずです。

本来は、気分良くなるために、始めた行為です。

しかしながら実際は、探すという行為によって得ていたものは、「気分の悪さ」です。

 

さあ、じゃあこの構図が見えた今、どうするのが最も的を得た行動になるでしょうか。

 

それは、いい気分が得られなかった「探す」をやめて、いい気分が得られることをする、ということですね。

「探す」が気分の悪いことだったので、じゃあ気分のよいことは何かと、そういう発想になるはずです。

とりあえず探すをやめて、温泉につかるなり、甘いものを食べるなり。

そして、「あ〜幸せ」と、実際に幸せを実感する。

 

今、実際に、感じていることを、

今、実際に、変更するのです。

 

例えば人間関係に悩んでいるなら、そのいま現に悩んでいる人間関係において感じている悪い気分をいい気分に変換することに努めてしまいがちですが、気分のいい、悪いにジャンルはありません。

気分とは、「いい」か「悪い」かだけです。

人間関係においてそれを得ようが、食べ物においてそれを得ようが、「いい気分」は「いい気分」です。

そこをあえて難易度の高い人間関係にこだわり続けると、いつまでも悪い気分が持続します。

 

難易度の高いものはさっさと捨てて、もっと簡単に得られることで得ればよくないですか?

なぜならどこからどのような形で得ようと、「いい」は「いい」で同じだから。

 

見えているものや理屈にこだわりすぎなのです、要は。

理屈や整合性を重視するあまり、「現に」「どうであるか」がおろそかになっています。

実質はただ単に、「現に」「どうであるか」だけです。

 

つまり気分が良ければ理屈はどうでもいいし、見た目もどうでもいいのです。

気分が良ければ、インスタ映えはなくても、安物であっても、何でもいいのです。

逆に、インスタ映えのために無理して疲れていたり、無理して高いものを買って逆に気分が悪くなっていたら、本末転倒です。

実利を取りましょう、実利を。

実利とは、いま現に感じている「気分」です。

お金でもないし、地位でも名誉でもありません。

そうではなく、「実際に」「感じていること」です。

 

お金を大量に得ても、気分が悪かったら、「実利を得た」とは言えません。

逆に、お金は得られなくても気分が得られたなら、それは「実利を得た」と言えます。

 

普通は、お金こそが実利と思われていますが、事実は全く逆です。

気分を曲げてもお金がゲットできれば成功だと思われていますが、それは逆です。

一億積まれても二億積まれても、本当の気持ちを曲げないのが本当の成功です。

 

マイケル・ジョーダン、2時間で報酬107億円の仕事断る
米プロバスケットボール(NBA)の元スーパースター、マイケル・ジョーダンさんが出演料が2時間で1億ドル(約107億円)の仕事を持ちかけられたもののこれを断っていたことが2日までにわかった。

 

お金を得て実利を捨てるのではなく、実利を得てお金を捨てるのが、本来的です。

世間の常識とは、全く逆です。

 

「探している」という時我々は、実利を求めて、実利を得ていません。

その時得ているものは、あなたが得たいと思っているものの、全く逆です。

すなわち、いい気分を求めて、悪い気分を得ています。

いい気分を求めて、悪い気分を得るとは、矛盾していますね。

いい気分が欲しいなら、やるべきことは実際にいい気分が得られること。

おやつを食べるとか、温泉に浸かるとか、そんなことですよね。

 

 

「実際に得ているものは何か」

驚いたことに、我々はよくこれを見逃がします。

求めるほうにばかり目が行き、実際に得ているものに無頓着です。

 

美女にばかり目が行き、「いいなあ、あんなかわいい子と付き合いたいなあ」と思っているその時、得ている気分は何でしょうか。

それは、空しさ、寂しさ、侘しさ、だったりします。

この仕組み、かなりみなさんハマっているのではないでしょうか。

「求めているもの」と「実際に手にしているもの」のギャップ。

「あれ、たしかに」って思いますよね。(笑)

 

実質に根ざしたやり方、実利を得るやり方というものがあるはずです。

それは、「~したい」という、実際にはやっていない空虚な方法ではなく、「~する」という、実際にやっている地に足のついた方法です。

「探す」ってのは、無いから探すわけであり、それはすなわち、無いを得ているわけです。

それよりも「得る」のです。

実際に得るを「する」のです。

いい気分を、実際に、直に得るのです。

そのために「何をする」かは関係ありません。

昼寝だろうとダンスだろうと、その時実際に何を得ているかに着目すれば、何を得ているかはわかるはずです。

「何をしているか」に着目するのではなく、「何を得ているか」に着目するのです。

だから、ある時は昼寝が最も気分のいいことであったり、またある時はダンスが最も気分のいいことだったりします。

「すること」はころころ変わります。

しかし得ている気分は変わりません。

それはいつでも「いいもの」であり続けます。

なぜならそれは、自らそれを選択しているから。

得るものが「いいもの」であることを外さないように行動しているから。

 

そういうことです。

仕組みがわかれば、実践は簡単です。

ぜひ実際にやってみてください。

コメント

  1. モルーパ より:

    ちょうど今探していました。(笑)

    いつも素晴らしい記事をありがとうございます。

    過去記事から全部読ませてもらってます。これからもずっと楽しみにしていますね。

    • こーへ より:

      笑、ありがとうございます。
      記事を読んで何か言いたくなったら、遠慮なくコメントください。メッセージでも。(^_^)

    • サマー より:

      めちゃくちゃ探してきました(T_T)

      幸せを探してる
      解決策を探している
      パートナーを探している
      何か面白いものを探している
      美女に目がいく

      すべてやってました‥。
      だから、自分らしくない人生で苦しんでいたのでしょうか(笑)
      だけど、ついつい、人生の答えを求めたくなるし、それが大事だと思ってました‥。
      気分よくなるのが一番大事だったのでしょうか?(@_@)

      ただ、気分よくする為に何するかがつい悩んだり迷います。

      小さなことでいいから、少し気分よくなる選択をするのがいいのでしょうか?アドバイスいただけたら助かります。

      • こーへ より:

        という風に「どうすればいいでしょうか」とすでに探していますね。(笑)
        アドバイスいただけませんかと、そのコメントを打っている時の気分はどうですか?
        すでに落ち着きなく、不安ですね。

        この記事では、まさにそれのことを言ってます。(笑)
        そして、じゃあどうすればいいかということも、すでに記事に書いています。

        要するに「全然気づけない」ということですね。
        このようにうっかり、ついつい自分から、不快になる選択をしてしまいます。

        不思議じゃないですか?この作用。
        自分から不快を選んでるつもりはないのに、実際にやっていることは、自ら不快に飛び込むようなこと。

        これってそうなっちゃうことだから、止めようがないですね。
        止めようがないので、あきらめるしかありません。(笑)

        別に悩んでも迷ってもいいじゃないですか。
        そして、気分よくなくたっていいじゃないですか。
        それは全然イカンことではありませんよ。

        つまりそのままで何の問題もありません。
        何の問題もないので、答えも何もありません。(笑)

        アドバイスがあるとしたら、この何の問題もなく、何の答えもない有様をただ見る、ということでしょうか。

      • サマー より:

        なるほど‥まさか‥そうなるとは汗。。

        このままを受け入れます。何も問題ない‥

  2. Xx より:

    これ、わたしもドハマりしてましたー!!!たしかに、気分悪かったです(;´д`)

    どうしても、ほしいし、手に入れたいし、だからこそ探してしまいますね(笑)

    探すをやめて、気分を得る何かをしてみる。

    気づいたら探してしまいそう(笑)

    • こーへ より:

      これはある意味、如何ともしがたいですね。(笑)
      しかし、この仕組みを知っているというだけで、違うと思います。
      苦しいという時にこの仕組みを思い出すだけで、少しホッとできるのではないでしょうか。

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