「何もしない」のがうまくいく秘訣だとよく言っていますが、この「何もしない」が実にむずかしい。
それは一般的な常識とは反する発想だからです。
普通は、何かをやればやっただけ効果がある、と思われています。
勉強はやればやっただけいい学校に入れるし、仕事は頑張れば頑張っただけ、給料が上がる。
それは非常に三次元的な発想です。
三次元に生きている我々が、ごく普通に思いつく、ごく普通の方法です。
歩けば歩いただけ距離は伸びるし、積めば積んだだけレンガの高さは高くなります。
ごくごく普通の、ごくごく当たり前の発想です。
逆に、歩かなかったら距離は伸びないだろう!積まなかったら高さは出ないだろう!
と、思われます。
だからついうっかり歩いちゃうし、レンガも積み始めてしまうわけです。
でも、
実は大事なのは距離の長さではないのです。
レンガの高さではないのです。
そういった三次元的な発想は、そもそも根底から覆ります。
三次元的な発想では、距離は長ければ長いほどいい、高さは高いほどいい。
学校はなるべくいい学校を出たほうがいい、収入はなるべく多いほうがいい、恋人は美男美女がいい。
これらが当たり前の前提として存在します。
これらは当たり前すぎて、そこに疑問を差し挟む余地はありません。
その前提が覆るのです。
距離は重要ではないのです。
高さは重要ではないのです。
学歴も収入も恋人も、重要ではないのです。
「へ~?じゃあ一体何が重要なの?」
それは自分が自分であることです。
自分が真に自分自身であることが重要です。
それ以外には何もありません。
自分が自分でいることが、最大限の気持ちよさであり、そのことの前には、お金も恋人も地位も名誉もふっとぶのです。
絶対です。
絶対誰だってそうなります。
次元が違いますから。
何次元かは知りませんが、それは明らかに三次元ではありません。
だから三次元的な発想が通用しません。
三次元の前提は、簡単に覆ります。
別世界なんです、そこは。
だから三次元的な発想でやっていては、いつまで経ってもそこへ行けません。
というわけで、
飛べ。
飛躍です。
いつまでも地面を這いつくばっていてもしょうがない。
…
芋虫が蝶になるってすごくないですか?
地面を這いつくばって葉っぱの汁をすすっていた芋虫君は、やがて立派な蝶になり、ひらひらと宙を舞い、甘い蜜を吸う。
よくよく考えたら不思議じゃないですか? この展開。
「芋虫が蝶ってなんだよ!唐突過ぎるやろ!」って、神様にクレームの一つや二つつけたくもなりますが、それが事実なのです。
それは紛れもない事実であり、現実として実際に起こる出来事です。
芋虫君は何をしたかというと、芋虫でいただけ。
金策に走ったり、瞑想したり、ヨガしたりなんかしなかった。
ただ芋虫でいただけ。
そしたら勝手に蝶になった。
勝手に。展開として。
芋虫君は何もしてないですよ。
蝶には「なる」んです。自動的に。
そうなる展開なんです。
あなたはあなたでいれば、自動的に蝶になるんです。展開として。
やれ空を飛ぶトレーニングしなきゃ、羽を買ってこなきゃと考えなくても、展開がその時期に差し掛かったら、自動的に羽は生えるし、自動的に空も飛べるのです。何の準備もしてなくても。
自然は偉大ですねぇ。
こんな突拍子もないストーリーを、しれっと現実の中に紛れ込ませているわけだから。
これがいわゆる事実であり、真実です。
…
何もしない時、あなたは最もあなたに戻ります。
だから何もしないでください、ということです。
あなたがあなたでいれば、ストーリーは自動的に展開します。
安心して青汁をすすっていれば、勝手に蝶になるのです。
何かをしたから、何かになる。
頑張ったから、手に入る。
いい学校に入ったから、収入が上がる。
それは、芋虫君が頑張って遠出したから、うまいキャベツにありついた、みたいな話であり、芋虫が蝶になることとは根本的に別次元の話です。
あなたは蝶になるのです、自動的に。
頑張って遠出することは、やってもやらなくても、どっちでもいい話です。
それが気分の悪いこと、しんどいこと、疲れること、やりたくないことなら、無理してやる必要は全然ないのです。
そんなことやろうがやるまいが、あなたは勝手に蝶になるわけですから。
つまりあなたは、好きなことしていればいいのです。
ひたすら芋虫でいればいいのです。
ひたすら芋虫でいることが、蝶になる最も根本的な秘訣といえば秘訣です。
芋虫でいいんです。それでいいんです。
そのままでいいんです。
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