悟りへの具体的な筋道

世界の根本
ご存じでしたでしょうか、すべては終わるということを。今まで頑張ってきたあれやこれや。つらかったあれやこれや。楽しかったあれやこれや。全部終わります。消えてなくなるわけです、全部。あたかも初めから何もなかったかのように。それは初めは何もなかっ...

というわけで、

全部が「ない」ということになると、どうなるでしょうか。

 

全てのものから、重さが消えていきます。

「軽く」なるのです。全てが。

 

軽くなるとは、どういうことでしょうか。

物事を深刻に受け止めなくなるということです。

 

物事を深刻に受け止めなくなるとどうなるでしょうか。

何事も気楽にできるということです。

 

何事も気楽にできるとどうなるでしょうか。

生きることが楽になるということです。

 

 

「ない」ということ。

「軽くなる」ということ。

重みがないということは、「楽」ということです。

 

そしてそれは、本来のことです。

「無い」が本来であるということは、前回見た通りです。

世界の根本
ご存じでしたでしょうか、すべては終わるということを。今まで頑張ってきたあれやこれや。つらかったあれやこれや。楽しかったあれやこれや。全部終わります。消えてなくなるわけです、全部。あたかも初めから何もなかったかのように。それは初めは何もなかっ...

 

本来人生とは、軽く、スースーで、楽なものです。

本来の「無」に沿って言えば、そうです。

 

その本来の「何もない」に意味を足し、意義を足し、大義名分を振りかざし、理由を付け、理屈をこねて、物事はどんどん重くなっていきます。

そしてどんどん、身動きが取れなくなっていきます。

どんどん重くなっていき、どんどん動きは鈍り、どんどん疲れ、重い足を引きずるようにして歩くハメになります。

 

これは、自らそうしているというところもありますし、世間の流れがそうだということもあります。

そういうコンセンサスの世の中に生きていますから。

 

とはいえ、そこから抜け出すことも、もちろんできます。

本来の無に還ればいいだけです。

 

これは、難しいとも言えるし、簡単とも言えます。

 

世の中の大勢がそうであり、長年そのように育ってきた慣れもある中で、そこから脱却するのは難しいとは言えます。

と同時に、やること自体は、余計なものを捨て、元々そうであった本来に還るということなので、簡単とも言えます。

何も100m10秒で走れとか、明日までに100億集めろといった、無理難題ではありません。

 

誰にとっても不可能なことではありません。

そもそもノーリスクなので、やらない手はないとは言えます。

では、やろう!となった場合、具体的にはどうすればいいのでしょうか。

 

 

やることは、無に還ることです。

もともとの無を思い出すことです。

そして、そのポジションにいる、ということです。

 

ちっとも具体的ではないですね。(笑)

「は?無って何??」って、最初から意味わかんないですね。(笑)

 

そもそもの話の性質が、具体的ではありません。

なにしろやろうとしているのは、あれやこれやそれといった「具体」から離れるということなので。

 

しかし、ここ最近のエントリーを読んで、「無」の何たるかの大体の感覚は掴めていると思います。

「何でもない」を知る
前回のエントリーはお読みいただけましたでしょうか。そういうことです、つまり。「何でもない」のです、実際。何かものすごく深刻なことや、ものすごく心に響くあれやこれやが、みなさんの人生にもあることでしょう。それらも全部、ジャンルでいうと「何でも...

 

無は無です。

それでもこれでもあれでもないものです。

 

そもそも何もないじゃないですか?

そもそも全ては、どこからともなく現れ、そしてどこへともなく消えていくじゃないですか。

もともとは「無」だったじゃないですか。

そんな、そもそもの「何でもない」を思い出すだけです。

 

どこにも寄り付かないということです。

どの立場も取らないということです。

 

どこにも寄り付かなかったら、そこは無です。

どこでもないので。

そんな「どこでもない」にいる、ということです。

 

どこでもないにいるとき、すべては何でもないです。

軸を取らなければ対比ができませんので。

対比ができないと、把握はできません。

つまり、全ての意味は消えます。

「それ」は「あれ」でも「これ」でもなく、本来の「それ」に戻るということです。

 

そこにいるとき、見えるのは「何か」ではありません。

いや、「何か」を見ていますが、その奥に「何でもない」を見ています。

奥にある「何でもない」を見ているとき、前景にある「何か」は、本来の「何か」のままです。

そのままの「何か」です。

 

そんなふうに、「何か」ではなく「何でもない」を、ただ見続けているだけです。

 

どこかに依拠するのではなく、どこにも依拠しない。

どこかに寄り付くのではなく、どこにも寄り付かない。

 

「そしたらどうなるんですか?」って思うかもしれませんが、なんにもありませんよ、もちろん。(笑)

なぜならここでやろうとしているのは、「何でもない」にいるということなので。

何でもなくなったら、すなわち成功です。(笑)

 

苦しんでいたこと、こだわっていたこと、悩んでいたこと。

それらが「何でもない」ということですね。

 

もちろん表層の見え方は以前と同じかもしれませんが、その奥に「何でもない」を見ています。

それらの本質が「何でもない」と知っているわけです。

だから安心です。

何が来てもその奥に「何でもない」を見ていれば、安心です。

そして、表層の楽しさや嬉しさは、そのまんま享受すればいいのです。

 

 

私たちはヘンな風に取り過ぎていました、物事を。

それらは「何でもない」だったじゃないですか、そもそも。

当たり前に何でもないものに、脚色を施し過ぎていました。

 

それらを元の「何でもない」に戻すだけです。

ただそれだけです。

つまり、もともと何でもなかったのです。

独り相撲だったのです。(笑)

 

独り相撲はそろそろ飽きました。

そんな時代が来ているように感じます。

 

過去の脚色は、ボロボロと剥がれ落ちています。

新しい時代は、自由になるでしょう。

しがらみが剥がれ落ち、固定観念が剥がれ落ち、不自由は解消されます。

 

無というベースから改めて、自由な飛翔が始まるでしょう。

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