「気分」がすべて

「気分」がすべてじゃないですか? よく考えてみたら。

どんなに沢山お金を持っていても、社会的な成功を収めていても、気分がよくなければ意味なくないですか?

逆に、見た目がどんなに最悪な状況であろうとも、気分がよければそれでOKじゃないですか?

 

実際の我々は、気分を無視して、お金だとか成功のほうを取ってしまいます。

気分というのは、意外と結構無視されます。

だから気分が悪い人が多いのですね。

そのまんまです。

 

 

そもそも気分というのは、何でしょうか。

それは、目には見えない、手では触れられないけど、確実に感じるものです。

あなた、どんなに否定しても、その気分の悪さあるいは良さを無かったことにはできないですね?

誰が何と言おうと、たとえ自分自身で否定しようと、それは確かにそこにありますね。

あるからこそ否定も成立しますね。ないものに対して否定は出来ません。

それは「ある」のです、確かに。

 

確かにあるもの。

つまりそれは「事実」です。

 

それに対して、お金や成功というのは幻想です。

それは「創作」であり、「相対的」であり、「実体のないもの」です。

目で見え、手で触れられるかもしれないけれど、それらに「実体」はありません。

実体がないとはつまり、それを直接感じることはできない、ということです。

成功に酔いしれるとは、成功そのものに酔いしれているのではなく、成功によってもたらされた気分の良さを感じているという状態です。

成功によって苦い思いを味わうこともあります。

つまり、「成功」によってもたらされるものは、マチマチです。

「成功」という唯一の味が、そこにあるわけではないのです。

 

成功それ自体を感じることは、できません。

あらゆる物理的なもの、思考的なものは、直接感じることができないものです。

お金や成功は、それを通して気分に影響を与える、「間接的なもの」でしかないのです。

 

直接感じることができないもの。

つまりそれは「幻想」です。

 

 

というわけで「気分」こそが全てです。

気分こそが、この世で唯一の実体です。

そして、その「気分」を良いものにしたいがために、お金を得ようとしたり、成功を得ようとしたりするのです。

お金や成功は、あくまで間接的な要素です。

 

だとしたら、そんな間接的な要素に迂回することなく、ダイレクトに直接に「気分」に向かえばよくないですか?

そんなまどろっこしい迂回を経なくとも、直接向かえばいいのです。

 

気分に直接向かう。

お金に向かうのでもなく、成功に向かうのでもなく、気分に向かうのです。

 

あなた、今の自分の気分を知っていますか?

自分の銀行残高は知っているでしょう。

自分の社会的なポジションも、承知しているでしょう。

では、今の自分の気分は承知していますか?

 

気分こそが最終目的であり、唯一の実体であるというのに、あまりにも無頓着すぎることに、まずはびっくりです。

 

単純に気分に着目しましょう。今の自分の気分に。

銀行残高の挙動に着目するように、社会的地位の浮き沈みに敏感なように、今の自分の気分に着目するのです。

 

着目した瞬間に、全てがわかります。

それがいいものなのか、悪いものなのか。

欲しているものなのかそうではないのか。

 

そして、どうしたいのかもわかります。

こんなの別に欲しくない、本当にほしいのはこれだ、と。

ただ単に着目するだけで、瞬時にわかります。

 

わからないとしたら、それは「考えちゃってる」のです。

「考える」と「感じる」は、全然違うことです。

「私の今の気分はこれだろう。そして私の本当に感じたい気分はきっとこれだろう」なんて。

妄想で何かそれっぽいものをこしらえているのです。

あまりにも考える癖が付きすぎて、ついうっかり考えちゃうのです。

 

「感じる」はもっと簡単です。

もうすでに感じています。今この瞬間も。

感じるを無くすことはできないので、それはすでにそこにあります。

あとはそれにただ「気付く」だけです。

そこに目をやるだけです。

 

感じるを大事にしましょう。

それこそがこの世で唯一の実体ですから。

幻想ではなく、実体を大事に生きましょう。

それが「地に足をつけて生きる」ということです。

 

「感じる」に着目してみてください。

インスピレーションは「感じる」ものです。決して考えて出した結論ではありません。

感じるに敏感になり、感じるままに生きることが、本当の生き方です。

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