目覚めるということ

たまにこういうこと起きませんか?

すなわち「どうでもよくなる」と。

 

今まで夢中だったことに、ふと、興味がなくなる。

ずっと気にしていたことが、ふと、どうでもよくなる。

経験はないですか?

 

何の理由もなく、「ふと」です。

フッとろうそくの火が消えるみたいに、消えてしまうのです。熱意とか、執着とか。

これは理由のない謎な現象ですが、咲き誇った花が、時期が来るとポトリと地面に落ちる現象に似ています。

 

そうですね、これは「現象」です。

何か「成し遂げたこと」でも「頑張ったこと」でもなく、現象として起こること、みたいな。

 

ウソみたいに消えてしまうのです。興味や、熱意や、執着が。

いやきっとみなさんにも経験があるのではないかと思います。

 

そして無が広がります。

シーン…、と。

なにも掴めない、みたいな。

なにかをグッと掴んで安定を得ようとしても、空気を掴むばかりで、何も掴めない、みたいな。

かといって、あわてるわけでもなく、冷静にそのもどかしさを見ている、みたいな。

 

 

どうでもよくなる

これは結構大きな変化ではないでしょうか。

なにしろ今までは、とにかく集める!溜める!充実させる!みたいに、とにかくヒマを埋め、上を目指し、何がなんでもやるんだ的な、「頑張る」という方向性で進んできたかと思います。

その「頑張る」をやめてしまうのです。

 

放棄する、とか、投げ捨てる、とも、ちょっと違います。

今咲いている花を無理やり折って地面に捨てる、ということではありません。

 

自然と、落花するのです。

時期が来た、ということです。

 

ですから、いま絢爛に咲いているならば、咲き誇ればいいでしょう。

焦っても焦らなくても、時期は必ず来ます。

 

何かに夢中になる、何かに執着する、何かを捕まえていたい。

そういう時期はそういう時期であり、そしてまた、別の時期が別の時期で、あります。

 

「どうでもよくなる」

不思議なものです。

今までとは、ほとんど180°逆向きの感覚です。

「追いかける」や「捕まえる」から「手放す」に変わるのですから。

 

「追いかけたい」というのを、無理にやめる必要はありません。

無理をすることには、無理があります。

それは自然に反することです。

 

ただ、もし「どうでもよくなる」というタイミングがきたなら、それはそうだということです

そこで頑張ることもまた、無理があります。

 

追いかけないと逆に、やってきます。

バランスの法則です。

空間は埋まります。

高気圧から低気圧に空気が流れるように、空間は平衡を保とうとします。

空っぽのままではいられません。

それもまた、自然の法則です。

 

頑張らないけど、やるはやる、のです。

 

無為自然

今できる精一杯をすれば、それでいいのでしょう。

何もできていないというなら、それでいいし、何もかもやりすぎなら、それもまたいいです。

ちゃんと自然に乗っかって、今できる精一杯をやっています。

 

自然から外れることなど、できるのでしょうか。

どう転んだとしても、それが今、その人のできる精一杯です。

いい人悪い人、派手な人おとなしい人。

それぞれがそれぞれの立場で、今できる精一杯をやっています。

 

まだできると追い込むことも、もう無理だと音を上げることも、どちらも同じです。

その時点の、その判断が、ベストです。

その時、それがいいと思って選んだのですから。

二番目を選んだとしても、二番目がベストと思って選んだのですから。(笑)

 

楽しむことも苦しむことも、正直なこともズルいことも、最終的にそれを選んだという時点で、それがベストです。

数ある選択肢の中からそれを選んだ時点で、それは今できる最高到達点です。

次の瞬間変わったとしても、今出した結論は、今、ベストです。

 

それでいい

なんか論点がズレてきてますか? そうですか。

それもまた、ベストです。(笑)

 

結局のところ、「それでいい」ということですね。

ベストでしかあり得ないということです。

どう転んでも、常にベストです。

その自覚があれば、なおベストです。(笑)

 

変化は起こすのではなく、起こります。

自然の流れが、そのように流れるのです。

花鳥風月、そのままにして、何ら破綻のないサイクルであるように。

我々はその流れに乗っていますし、そこから外れることもできません。

 

 

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