それは非常に、捉えにくい感覚ではありますね。
「本当の自分」
それは非常に、捉えにくい感覚ではあります。
何かわかったような、わからないような、そんなモヤモヤした感じ。
本当の自分に居てみようとすると、何か捉えたような捉えないような、微妙な感覚を味わうかもしれません。
しかしそれは、捉えるというよりもむしろ、捉えようとすることをやめる、ということです。
凝結するよりもむしろ放散する、という感覚です。
「わかる」ではなく、むしろ「わからない」です。
そしてその、わからない感じが気持ちいいのです。
どこにもいないのです。
どこにも依存していないのです。
どの考えにも依拠していないのです。
どこかに掴まりたがる、何かに依拠したがる。
それが普通の感覚ですが、普通の感覚の逆を行くのです。
どこにも掴まらない。
何にも依拠しない。
放散。
どこにもいない。
「わからない」でいいんです。
わからないからと、何かわかろうとしますが、いやいや、わからないで正解です。(笑)
「正解は無い」で正解です。
確かさによって安定するのではなく、確かなものは何もないという不確かさに身を任せる。
確かさに依る必要がないからこその、確かさ。
それは、裏から見たときに確認できる、確かさです。
確かさこそが正しいと、普通の感覚では思います。
何か硬い、しっかりしたものに寄り掛かると。
しかしその逆です。
すべては逆です。
放散します、無くしてしまいます。
それは一般的な感覚での「安心」とは違います。
むしろ180°逆です。
普通の感覚のままでは、ちょっとついていけません。
普通の感覚のままだと、何か確かなものに寄り掛かろうとします。
しかし、何にも寄り掛からないのです。
放散して無くしてしまうのですから。
どこにもいません。
誰も私を捕まえることはできません。
どこにもいないから。
「楽」です、言ってみると。
「空」です。
空気のように軽い。
凝結して塊になってガッシリとするのではありません。
その逆です。
空気になって放散して、雲散霧消します。
消えてなくなります。
どこにもいません。
どこにもいません。
つまり遍在します
どこにもいるのです。
感覚としては、「逆」です。
普通の感覚の、逆です。
普通は生きようとしますが、死にます。
普通は何が何でも生き延びようとしますが、死にます。
いとも簡単に死にます。サクッと。
その軽さ。
つまり逆なんです。
普通は死ぬのはダメと思われています。
完全に腹の底から、そう思われています。
だから難しい。
実際に死ぬんじゃないですよ。
物理的な話は一切していません。
感覚の話です、全部。
正解は無い。
「だから何?」
確かさは何もない。
「だから何?」
何もすごくないし、素晴らしくもない。
「だから何?」
その「だから何?」です。
何でもないのです。
普通の感覚なら不安の状態。
それです。
だから普通の感覚では捉えられません。
感覚の転換。
「あ!」という発見が必要です。
「それかっ!」という発見が必要です。
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発見によって、人生は転換します。
コロンブスの卵です。
それは普通の感覚ならオカシイと思われることです。
だって普通の感覚の真逆だから。
コロンブスだって、初めは頭オカシイと思われたはず。
先駆者は必ず頭オカシイと思われます。
外の目線を気にしていたら、なかなかできないこと。
だからひっそりとやったほうがいいです。(笑)
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頭オカシイかオカシクないかを見るのではなく、真実を見る。
本当はどうなのかを見る。
人の目線や、普通の感覚がどうなのかを一切気にすることなく、本当はどうなのかを一直線に見る。
本当のことへの単刀直入な目線です。
本当のことへ、単刀直入に入ってください。遠慮なく。
本当のことは、単刀直入です。
遠慮も会釈もありません。
スパっと、ダイレクトに掴んでください。
それが、それです。
あらゆる前提を捨て、裸で真実に向き合ってください。
何の予断も偏見もなく。
真実に向き合う覚悟を100%決めたとき、あなたは真実そのものです。
その時あなたは、真実そのものです。
真実はのらりくらりでも、道程でもありません。
スパっと、それです。
単刀直入に、それです。
間違えようのない、確信です。
本当のことはあまりにも本当すぎて、間違えようがありません。
今までの「普通」にくらまされることなく、本質を突いてください。
建前ではなく、本音です。
本音をつかんでください。
裸の王様は、だれが見ても裸です。
それを裸だと言うのです。
見た通りを、言うのです。
「見た通り」を。
我々はあまりにもくらまされている。
あまりにも建前にくらまされている。
本音を暴こう。
だれにも言わず、ひっそりと。
それこそが、天国への招待状です。
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