探求を終わらせる

人々は探求を続けます。

いったいどうなってるんだ、いったいどうしたらいいんだ、と。

答えを探します。

 

その時の自分の状態に着目してみてください。

探求している時の自分。

 

「不安」ですね。

「どうしたらいいんだ」となっている時の自分の状態は、不安です。

 

その不安な自分を見てみてください。

それが今のあなたの状態です。

 

 

「今の自分の状態」

これを見てください。いつも、常に。

今自分がどうであるかに意識的になってください。

 

「何をやっているか」ではありません。

今どういう状態であるか」です。

 

答えを探すことに意識を持っていくのではなく、答えを探している時の自分の状態に、意識を持っていくのです。

 

そこで見えるのも。

たとえば今なら「不安」ですね。

それがあなたが実際に手にしているものです。

あなたは答えを求めて「不安」を手にしているのです。

 

わかりますか?

あなたは答えを手にしているのではなく、不安を手にしているのです。

 

欲しいものは探すのではありません。

欲しいものがある場合、「探す」という手段によっては、手に入らないのです。

それは事実を観察すればわかることです。

 

つまり、探求はやめましょう、ということです。

探求によって手に入るのは、「探求」です。

そのまんまです。

あなたは探求を手に入れたいわけではないでしょう?

だったら探求をやめましょう。

 

あなたが実際にやっていること。

それがあなたが実際に手に入れているものです。

 

探求をすれば探求が手に入る。

不安になれば不安が手に入る。

喜べば喜びが手に入る。

楽しめば楽しみが手に入る。

 

あなたは何が欲しいのですか?

それを直接手に入れればいいのです。

 

手に入れるという行為は、あなたが思っているよりも、ダイレクトです。

瞬間で手に入ります。

それを手に入れるために、長年修行して、努力を重ねて、という、回りくどい方法はいらないのです。

それは手にした瞬間に、手に入ります。

ただ、そのことを理解するのに、時間がかかるだけです。(笑)

我々はただ、その原理を知らなかっただけです。

 

あなたも「やる」前にぜひ、「見て」みてください。

その原理を、あなたも実際に自分の目で確認してみてください。

 

 

あなたは今、何を手にしていますか。

そして、なぜそれを手にしているのですか?

 

それをあなたが手にしたから、手にしているのでしょう?

あなたがそれを選択したから、それが今そこにあるのでしょう?

 

「いや、自分で選んだ覚えはない。勝手にやってきた」

と、こう思いますね、普通は。

その考えも今、あなたが手にしたから、そこにあるのでしょう?

 

またある人は、こう思うかもしれません。

「なるほど確かに、自分の選んだことがそのまんま、ここにある」と。

その考えも今、その人が手にしたから、そこにあります。

 

 

物事は外からやってくるもの。

普通はそう思われています。

不安も、幸せも、答えも、外からやってくると。

 

事実は逆です。

自分の選んだものが反映されているのが、外の世界です。

 

「答えが欲しい」という思いが、探求という現象を生みます。

不安な思いによって、不安な現象を見ます。

楽しい思いによって、楽しい現象を見ます。

 

現象自体に意味はありません。

あなたの選択したものがただ、そこにあるだけです。

 

とにかく「選ぶ」んです。

 

今手にしているものがイヤなら、別なものを選び直せばいいんです。

とにかく、あなたが選んだものが、あなたが実際に手にしているものです。

それはもう、事実を見たらその通りでしかありません。

選べばいいんです、選べば。

 

楽しいことがいいなら、楽しいを選べばいいのです。直に、ダイレクトに。

楽しいことをするために、まずは修行して、どんな時もポジティブでいられる体質を作って等、まどろっこしいことはしなくていいのです。

ただやればいいのです。直に。ストレートに。楽しいを選べばいいのです。それだけです。以上、終わりです。

 

簡単すぎるし、当たり前すぎるでしょう?

今あなたが手にしているものは、あなたが選んだから、そこにあるのです。

意識的にだろうと無意識的にだろうと、あなたが選んだから、そこにあるのです。

 

じゃあ意識的に選びましょうよ。

やりたいようにやりましょうよ。

 

あなたは選べるんです。選んでいいんです。

選んで、クリエイトするということがつまり、生きるということです。

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