自分に力を取り戻す 2

何をやるかが大事なのではなく、自らパワーを生み出すことが大事です。

何をやるかにこだわって、たいしてやりたくもないことを無理やりなパワーで動かすより、自らの内から湧き出すパワーを流すことが大事です。

自らの内からパワーが流れてさえいれば、何をやるかは問題ではありません。

 

そのために、小さなことからコツコツと、パワーを発揮し続けることです。

自分に力を取り戻す
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「内なる声に従って、自らの意思で、その選択をした」という経験は、ものすごいパワーの湧出です。

たとえ小さなことであろうとです。

惰性で見ていたテレビをスパッとやめ、ずっと気になっていた部屋の掃除をしたとか、

太るからという理由を「もうええわ!」っとスパッと捨て、我慢していたアイスクリームを思う存分食うとか。

 

内なるエネルギーの湧出。

それに許可を出し切ったときの、歓喜とも深い満足ともつかない、何とも言えない充足。

死んでもいいとすら思える充足。

 

完全に生ききると、生への執着は薄れます。

もう生はやりきったのです。

完全に充足すると、もうどうでもよくなります。

生への執着とは、まだやり切れてない名残惜しさです。

 

生を完全に燃焼し続けていると、もういつ死んでもいいのです。

完全に満足しています。

生への感謝とともに、いつでも逝けます。

 

 

これをですね、「何をやるか」にこだわっていると、そうはいきません。

部屋の掃除にこだわって、見たいテレビを我慢して、しぶしぶ無理やり掃除を終わらせても、何のエネルギーの発揮にもなっていないのです。

「何をやるか」にこだわって、「出しているエネルギー」を間違えているのです。

 

この違いがわかりますか?

目に見える、やっていることが同じであっても、内容が全然違うということです。

同じ「部屋の掃除」であっても、内なるエネルギーの湧出によって気持ちよく行うか、内なるエネルギーの湧出を押さえつけ、無理やりなエネルギーで行うか。

この違いは、天と地の違いです。

目に見えるやっていることは同じでも、実際にやっていることは、180°真逆です。

 

同じ「アイスクリームを食う」でも、抑え込んでいた蓋を取っ払って、「もう死んでもいい」という歓喜と共に食べるか、「ああまた太る、自分ってなんてダメなんだろう」という罪悪感と共に食べるかでは、雲泥どころではない差です。

目に見える行動は同じでも、やっていることが180°真逆です。

 

だから、「何をやるか」にはこだわらないでください。

何でもいいんです。

それは何でもいいんです。

それよりも内からのパワーが流れているか、真の充足を感じているか。

そっちの「感覚」のほうに目を向けてください。

 

目に見える形は忘れてしまいましょう。

過去も未来も忘れましょう。

今この瞬間に、すべてを燃焼し尽くしましょう。

その時、何が残りますか?

すべてを燃やし尽くすと、何が残りますか?

 

何も残りません。

未練も、無念も、後悔も、何も残りません。

真の充足は、すべてを洗い流します。

もう何でもいいし、どうでもいいのです。

その空っぽこそが、真理です。

 

すべてを燃焼し尽くすと、もう真理すらどうでもいいです。

必死になって求めていた真理は、もうそんなもんどうでもいいとなったとき、初めて手に入ります、皮肉な話ですが。(笑)

 

求めていた充足は、自らの内にあります。間違いなく。

それは外に求めるのではなく、内から引き出すのです。

無限の預金が、自らの内にあります。

それを引き出すのです。

いくら引き出しても、尽きません。

いくらでもいくらでも引き出すのです。

文字通りの無限です。

字義通りの無限です。

いくら引き出しても、エネルギーは尽きません。

それは、宇宙の無限とイコールです。

 

正しいやり方を理解しましたね。

それは思っていたやり方の180°逆でしたね。

 

力は外にあるのではなく、内にある。それも無限に。

この事実を、ぜひ、あなた自身の目で確かめてください。

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