自分自身の中に深く入っていきましょう。
みなさんご存知でしたでしょうか。
「自分」とは、この世で対象物ではない唯一のものです。
この世の全ては、対象物です。
人もモノも、出来事も思考も。
ぜーんぶが対象物です。
全部が対象物というこの世界において、唯一対象物でないもの。
それが自分です。
この特異性に気づいていますでしょうか。
「いや、わかるよ。だから何?」
そのような感想が一般的かもしれません。
しかし、そのような感想が出るということは、その特異性を真に理解していないということです。
それはまだ、自分を対象物として扱っているということです。
あるいは「自分は唯一対象物ではないという観念」を対象物として取り扱っているということです。
…
「自分に向き合う」ということが、よく言われます。
宗教、哲学、自己啓発、スピリチュアル。
精神的な世界の話になると、必ず言われるフレーズ。
それが「自分に向き合う」です。
なぜこんなによく言われるのかというと、これが全てだからです。
このフレーズに、全てがあるからです。
自分自身を真に理解したら、それで終わりです。
たったそれだけのことです。
たったそれだけのことを言うためにこれだけの言葉が費やされています。
世界中にあふれる、宗教、真理、哲学に関する、あらゆる文言。
それは全て、このたった一言を説明するために費やされています。
「汝自身を知れ」
古代ギリシャのアポロン神殿の入り口に刻まれた言葉です。
そこが神のいる場所だからです。
「自分自身」こそが、神の居場所だからです。
本当の神殿はそこだからです。
神に会いたければ、自分自身に会えと、そういうことです。
神殿や神社に神がいるわけではありません。
神がいるのは自分自身です。
だから神社には御神体として鏡がよく置いてあります。
そこが神の居場所だからです。
その鏡に映っているものこそが、神だからです。
すなわち、自分自身です。
神殿や神社は、そこに神がいるのではなく、自分自身に向き合うための装置です。
「外」に神はいません。
「内」です。
「内」がそもそも神です。
すなわち自分に向き合うことが、全てなのです。
…
じゃあ一体、自分に向き合うとはどういうことか。
自分とは一体何か。
一般的に認識されている「自分」とは、自分の顔や容姿、性格や考え方、肩書や社会的ポジション、そういうものですね。
それは自分ではありません。
それは「自分にまつわるもの」です。
自分自身ではありません。
じゃあ真の自分自身とは何か。
それを見つけることが、探求です。
それを見つけに行きましょう。
どこへ?
そこへです。
それを見つけに行こうと言っている、そこへです。
「それを見つけに行こう」という声を発している、その震源地へです。
その声は、どこから出ていますか?
その声の震源地は、何ですか?
そこは、どこですか?
自分は外にはありませんね。
外にある自分とは、名前だとか肩書だとか容姿だとか、そいういうものです。
本当の自分は「内」ですね。
その声が発せられている震源地ですね。
そこはどんな場所でしょうか。
何もありませんね。
外側に存在するものは、何もありません。
外側ものは全て、捉えられるべきものであって、捉えるものではありません。
唯一の「捉えるもの」。
それが自分です。
真の自分とは、世界に溢れるモノやコトを「捉えるもの」です。
世界はモノやコトで溢れていますが、そのどれでもない唯一のもの。
それが自分自身です。
…
「うん、確かにそうだね。だから何?」
と、このようのな感想も、出てくるかもしれませんね。
だから何もありません。(笑)
ただそれだけです。
「だから何」は、自分の外から出てくる質問です。
自分の中心にいたら、そのような質問は出てきません。
「だから何」は、思考がもたらす質問です。
それは結論を求める思考が発する質問です。
実体験からそのような質問は出てきません。
「だから何」って思うのは、「それについて考えている」からであって、「実際にそこに行ってない」からです。
考えるのではなく、行くのです。実際に体験するのです。
「何を言っているのかわからないよ」
そうですね。
それは「わかる・わからない」の話ではないので、わからないのは当たり前です。
わかろうとしないでください。
それはわかるものではありませんから。
わかろうとするのではなく、実際に体験してください。
実際に自分の中心に「居て」みてください。
そして、そこから実際に見てください。
何が見えるか。
見え方が180°変わるはずです。
なぜなら、180°裏に今いるから。
そこって「こっち側」だから。
今まで居たそっち側ではなく、こっち側だから。
今まで舞台の客席から見ていたけど、今は舞台から見ているから。
180°逆側から見ているから。
見え方が180°変わるのは当たり前です。
「だから何」とか言ってるのは、客席からヤジを飛ばしているようなものです。
舞台に立ってみなさいよ。
舞台に立って、自分が本当に自分自身を演じてみなさいよ。
「だから何」なんてヤジが、舞台にいる本人から飛ぶはずないでしょう?
舞台に立ってないんですよ。
客席から「へー」とか「ふーん」とか言いながら、舞台を眺めているだけです。
舞台に立ってみなさいよ。
そこからどう見えるか。
そこから自分の人生がどう見えるか。
いつまでも客席でのほほんとしていても、あなたの本当の舞台の幕は上がらないですよ。
いつまでも開演しないですよ、あなたの本当の人生は。
自分自身である、とは、「あなたはいつ舞台に立つんですか」という、そいういう話です。
あなたの人生は、全然始まっていないのです。客席にいる限り。
だからなんか変な感じがするのです。
「いつ始まるのかな、この舞台は」と、いつもソワソワするのです。
舞台が始まるのは、あなたが舞台に立つ時です。
あなたが真に自分の中心に立った時です。
誰かがその舞台に立つのではありません。
自分が立つのです。
待っていても、何も始まりません。
考えていても、何も始まりません。
あなたが実際に舞台に立たない限り。
「え?ワタシ!?」
はい、あなたです。
自分の中心に居れるのは自分だけです。
その舞台に立てるのは、あなただけです。
「いつ始まるのかな~」と思っていたかもしれませんが、始まるのはあなたが舞台に立つ時です。
いつ立ちますか? 自分の中心に。
立った時に初めてわかります。
「こういう風に世界は見えるのか~」って。
そこから見える景色は、そこに立たないと見えないものです。
あなたを中心に、世界は動きます。
なぜならあなたは、舞台の主役だからです。
そこがあなたの、本来のポジションだからです。
世界という劇場の、舞台のセンター。
そこがあなたの、本当のポジションです。
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