やめることの意義

「全てを無くす」「何もやらない」という話をよくしています。

それがうまくやる秘訣だと。

 

でも、全てを無くすと、すごく寂しい気持ちになんるじゃないかと思います。

何もやらないと、すごく空しい気分になるんじゃないかと思います。

 

それはおそらく、実際にそうなります。

形だけをマネすると、そうなります。

 

そうすることの意味を理解していないと、ただ単に寂しいだけであり、ただ単に空しいだけです。

なぜなら「満たす」が現実世界の方向性で、「無くす」が天国世界の方向性だからです。

180°逆でしたね。

 

いま現に満たすのが正義という現実世界にいながら無くすのは、罰ゲームみたいなもんです。

それはかなり無理がある。

無くす前に、無くすこと意味について理解していないと、それはかなり無理がある。

 

無くすことは気持ちいいのです、実際。

「断捨離」とか言いますよね。

モノでも捨てるとサッパリして、心地よくなります。

その気持ちよさが実感できないなら、それはやめたほうがいいと思います。

 

なにしろ「無理」が一番よくない。

無理してやるのが、一番よくありません。

そして我々は結構容易に、その「無理」のワナにはまります。

「~がいいぞ」となると、自分の感覚を無視して、その言われたことに従ってしまうのです。

 

正解を知っているのは、自分の感覚だけです。

それ以外は、どんなに大御所が言っていようが、どんなに尊敬する人が言っていようが、どんなに大好きな人が言っていようが、全部間違いです。

このブログに書いてあることだって、あなたの感覚に照らし合わせてズレがあるなら、正しいのはあなたの感覚の方です。

 

自分を最上位に置くとは、そういうことです。

自分が舞台のセンターに立つとは、そういうことです。

自分の感覚だけが、正解を知っています。

だからこそ、自分の感覚に敏感にならなくてはいけません。

だからこそ、自分を大事にしなくてはいけません。

だからこそ、自分の感覚に最大限の敬意を払わなくてはいけません。

すなわちそれは、神の声、だから。

 

本当にその感覚で間違いないか、常にチェックしなくてはいけません。

感覚のすり替えは、容易に起こります。

ウッカリすぐに、大御所の言葉を鵜呑みにしてしまいます。

売れている本に書いてあることを信じてしまいます。

会社の命令に盲目的に服従してしまいます。

 

そして、エゴのそそのかしにも、容易に負けてしまいます。

ウッカリすぐに、自分が得するためにズルい手段を取ったり、ウソをついたり、ごまかしたり。

それが真実の声ではないと理解しながら、あるいは最初から真実の声なんて聞く気もなく、簡単にエゴに流されてしまうこともあります。

 

神の声は、本当にか細い声です。

ワーワーギャーギャーやかましい、現代社会の環境音に、容易にかき消されます。

それでも真摯にその声に耳を傾ける者だけが、天国に行けます。

その声が神の声であることを知り、礼拝し、大切にする者だけが、神の国に行けます。

 

結局真実が最強なのです。

何だかんだ言いますが、最終的に真実が最強なのです。

何だかんだの最中だと、まだわからないかもしれません。

そんな場合は、存分に何だかんだを試し、結局何が最強なのかを調査してみるといいでしょう。

結局何やねんと。

結局は何なんだと。

結局は薬局なんてダジャレがありましたが、結局は真実です。

いろいろ試した挙句、結局はそうなります。

しかし、そうなることを理解するためには、自分でいろいろ試して、実際に結論を得なくてはいけません。

人から聞いた話だけでは、というてい納得がいかないからです。

さんざんエゴで押し通した挙句、最終的にはぶっ壊れて終わるというパターンは、よく聞きます。

真実以外は行き止まるようになってます。

これはもう、そういうふうに出来ているのだから、仕方がない。

それこそ「人生のしくみ」です。

宇宙の法則です。

 

本当はとても簡単なんですね、人生のしくみって。

感覚というナビゲーションが標準装備されているわけだから、それに従っていればうまくいくのです。

それがなぜおかしなことになるのかというと、ナビゲーションの声を無視するか、ナビゲーションの声がわからなくなるからです。

神の声なんか聞かずとも、自分のほうがうまくできる、うまくやってみせると、我を張る。

それはつまり、エゴの声なわけですが。

あとは、一体どれが自分の正しい感覚だかわからなくなる。

それは「考え」が邪魔しているわけですね。

それは一体「考え」なのか「感覚」なのか、わからなくなる。

 

ここで冒頭の「何もしない」に戻るわけです。

だから何もしないのです。

雑音を消すのです。

余計なことを全て消すと、真理が自然と浮かび上がってきます。

自然と内なる声が浮かび上がってきます。

神の声は常に聞こえているのです。

聞こえないとしたら、雑音にかき消されているのです。

だから何もしないのです。だから全てを無くすのです。雑音を消すために。

 

このように全ては、ループ状に循環しています。

物理世界のループから、神の国のループへの移行。

それは、物理世界でのループが破綻をきたし、コロリと天国に移行することもあるでしょう。

はたまた、この仕組みを解明し、その仕組みに則ってロジカルに移行することもあるでしょう。(一応このブログはそのスタンスです)

いずれにしても、今のこの堂々巡りをやめ、もう一方へと移行したいわけですよね。

やっぱり「やめ」なくてはいけないわけです。どっかで。

どっかで今のループを、やめなくてはいけないわけです。

 

「やめる」ことの意義。

今やっていることをやめるから、新しいことがはじまります。

やめることは空しいことでも寂しいことでもなく、期待に胸を膨らませることでもあるのです。

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