何かをやらなくちゃいけないという思いは、根強くあります。
しっかりしなくちゃいけない、ちゃんとしなくちゃいけない、どうでなきゃいけない、こうでなきゃいけない。
しかし実際は、どうであろうと一緒です。
出来ても出来なくても、なんであろうと一緒です。
やるという選択をした、やらないという選択をした。
どっちも一緒です。
成功の美酒に酔いしれた、何もやらなかったという後悔にさいなまれた。
どっちも一緒です。
この「どっちも一緒感」わかります?
ふつうは、成功の方、楽しい方、得な方を選択したいと思いますが、本当は何だって一緒です。
普通に生活していると、「やらなきゃいけない」という気持ちにさせられることが多いですが、それって本当に、ただの思い込みです。
気持ちを見る前にまず、事実を見てみましょう。
イヤな気持ち、楽しい気持ち、幸福な気持ち。
我々は容易に気持ちに振り回されますが、その「気持ち」なるものも、実は「起こり」のひとつであり、路傍の石や空に浮かぶ雲と一緒です。
なんだって一緒なのです。
全部ただの「起こり」です。
起こりに優劣はありません。
好き嫌いはありますが。
でも好き嫌いと優劣は一緒ではありません。
好きなことをやればいいと思いますが、「優れたことをやらなければいけない」ということはありません。
このような勝手な解釈は、勝手に起こります。
なにしろ「勝手な解釈」なので。(笑)
それが勝手な解釈だと気づくのは、なかなか難しいです。
ですから、何がどうなっているかを調べる時間を取りましょう、ということです。
何がどうなっているかを把握することなく、気持ちだけで事を進めてしまうと、行き詰まります。
気持ちは気まぐれだからです。
気持ちは泡沫であり、「起こり」の一種です。
それを主にした行動は、実にあやふやなものです。
それはきっと、うまくいったりいかなかったりするでしょう。
うまくいくならいいでしょう。納得いくならいいでしょう。
しかし、うまくいかない場合も多いし、納得がいかない場合も多い。
本当は、うまくいくとかいかないとかは、何でもいいのです。
うまくいきたい、いかせたい。
その一心で行動しますが、本当はうまくいく、いかないはどっちでもいいのです。
それを知ってから行動すれば、迷いも苦しみもありません。
なんでもいいと知っているから。
うまくいく、いかないが等価だと知っているから。
言ってみれば、どっちでも成功です。
なんだって成功です。
生きているだけで成功です。行為全てが成功です。
いや、生きていようが死んでいようが、そこにさえこだわりはありません。
そうなりたいと思います?
そしたらシンプルに事実を見てください。
自分がこうなりたいと思っていること、こうであるべきと思っていること。
それらが幻想であること。
事実は「何もない」であること。
本当に「無」であること。
考えるのではなく、解釈するのでもなく、単純にあるがままを見てください。
それを見てしまったら、もう終わりです。
なす術はありません。
「お手上げ」です。
ただ単に起こっているだけです、事実は。
なす術など、ないのです。
何もしないでいいなんて、これほどホッとすることはありません。
何もしなくていいし、したかったらしてもいい。
これほどホッとすることも、なかなかありません。
その境地に、まずは行きましょう。
そうすれば、何をやってもうまくいきます。
なにしろどう転んでも、全てが成功なので。(笑)
コメント
いいねぇ~
そういえば中学時代、内申上げようと、答案の解釈をめぐって加点の交渉に求々していた同級が数人いた。私は決して見苦しく食い下がりはしなかった。中学時代からもう、直感的にここのブログの内容を体現していた‼
ただ、生死ともなると、想像出来ない、想像したくない、想像する必要もない、戦時中ではあるまいし、もう過去に経験済だから(笑)