人生って何なのか、生きるって何なのか

人生って何なのか、生きるって何なのか。

普通に疑問ですね。

何のために生きているのか、どうすればよりよい人生、充実した人生になるのかと。

 

それについて、頭で出した回答はすべて、ひとつの「解釈」となります。

「そういう考え方もできる」という、ひとつの考え方です。

なぜなら考えて出した回答だから。

ハウツーやレシピみたいなもの。

 

しかし、このことについて考えているエキスパートは「考え」に満足いかなくなります。

なぜなら考えはあくまで「そういう考え方もできる」という個別的な要素であり、普遍的な真理ではないからです。

 

普遍的な真理は、考えによっては到達できません。

「考える」という行為自体が、個人的な行為だからです。

個人が、個人的な機能を使って、個人的に出した回答です。

 

「普遍的な真理って何か」

このことについて考え続けているエキスパートは、最終的にそう考えます。

それはすなわち、「考えを捨てる」ということですね。

 

 

考えを捨てた時に見えるものは何でしょうか。

それはある意味、「何もない」と言えるものです。

逆に、今までのすべては「考え」であったかと、そう気づかされます。

考えを捨てれば何もない。

今まであれやこれやであったものはすべて「考え」であったかと。

 

頑張ってお金を稼ごうと考えない。

誰かに好かれようと考えない。

悩みも苦しみも考えない。

夢も希望も考えない。

 

考えなければ何もない。

 

「何もない」に、何があるでしょうか。

「何もない」にいるとは、どういうことでしょうか。

 

それを体験することは、今すぐ可能です。

単純に考えを捨てることによって。

真理とはこんな簡単に手に入るものです。

 

 

普段ならこんな発想はしませんね。

仕事や家庭やSNSに忙しくて、普段はとてもそんな発想はしません。

真理だとか、普遍だとか、そんなこと全く考えません。

もっと個別のことを考えています。

個別の集積、つまり日常を生きています。

 

日常を脱するとは、トリップでも充実でもなく、考えからの脱出です。

どこへ旅行しようと、どんな遊びをしようと、考えの中に埋もれていては、それは日常の延長であり、日常と一緒です。

 

真のエスケープは、「考え」からの脱出です。

手間もお金もかからない、シンプルな出来事。

 

 

人生って何なのか、生きるって何なのか。

それは考えではなく、体験です。

コメント

  1. Celeschere より:

    霊的な師は理性の外にいる。つまり自分はどんな存在なのかと考えたりしない。
    考えは創造を遅らせる。あるいは否定するだけである。普通は、考えることでなにかを生み出す。しかし、すでに全ては創造されているのだから、それに気付くこともできる。しかし「考えて」いたのではいけない❗思考から離れなければならない☺

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