お金の取り扱いについて

お金というものに惑わされる人も多いでしょう。

「お金そのもの」に着目していると、そうなりますね。

いかにお金を集めるか、とか、いかにお金を使うか、とか。

お金、お金、お金と。

 

しかし、お金というものを正確に理解するためには、お金そのものに着目するのではなく、世界を見る必要があります。

世界を見れば、その中のお金の立ち位置がわかります。

お金だけを見ていると、間違えます。

世界を見ることによってお金を把握する方が、間違いがありません。

 

お金に限らずすべて、「それそのもの」に着目するのではなく、「全て」を見ることによってそれの立ち位置を見る方が間違いありません。

 

 

さて、お金ってなんでしょうか。

それはエネルギーの流れですね。

潮の流れや気圧の変化と一緒です。

疎や密があります。

そしてその流れを「密」にしたいと。

お金が欲しいとは、そういうことですね。

 

しかし、大きな視点で見てみましょう。

世界を捉えることによって、お金を把握しましょう。

お金が「密」であることに、意味はありません。

たくさんお金を持っていることには、意味はありません。

エネルギーは止まっていることに、意味はないのです。

 

エネルギーは、流れることに、意味があります。

どれだけ持っているかにこだわるのは、結構な的外れです。

何をどれだけ持っているかには、意味がないのです。

 

エネルギーが流れるときに、それに付随してお金が流れます。

お金のことはまったく気にしなくていいのです。

それは勝手に伴走しているのですから。

それよりも、自分の走りに集中していればいいのです。

 

お金のことは、まったく気にしなくていいのです。

お金は勝手についてくるものであり、逆についてこなくてもいいものです。

 

お金が大事なのではありません。

エネルギーが流れていることが大事です。

 

 

そしたら、どうやってエネルギーを流すのかという話になりますが、エネルギーは流すのではなく「流れている」のです。勝手に。

宇宙は勝手に運動しているでしょう?

川は勝手に流れているでしょう?

エネルギーは勝手に流れているのです。

我々にできるのは、そのエネルギーを「確認すること」だけです。

自らの内に流れるエネルギーを確認するだけです。

 

エネルギーの流れに着目してください。

他人でもなく、世間を騒がすニュースでもなく、芸能ゴシップでもなく、自らの内に流れるエネルギーの流れに、着目してください。

 

どうこうしなくても、エネルギーは勝手に流れています。

生きて、ご飯を食って、考え事をして、会社に行って、仕事をして。

ちゃんとエネルギーは流れています。

エネルギーの流れに着目しましょう。

 

お金のことを気にするとき、エネルギーの流れはどうなりますか?

他人のことを気にするとき、エネルギーの流れはどうなりますか?

 

エネルギーの流れに着目していれば、自然と整います。

無理に流そうとか、どうこうしようとしなくても、「見ていること」それ自体がすでに愛です。

愛の反対は無関心だとマザー・テレサは言いましたが、関心を寄せていることがすでに愛です。

自分を大事にしている、ということです。

 

自分は世界の全てです。

世界とは、自分において展開しているアレコレのことです。

自分を大事にしている時、すでに世界を大事にしています。

自然と愛に満ちた行動になります。本当に自然と。なんの無理もなく。

 

お金のことは、何の心配もいりません。

それはがっぽり儲かるとかそういうことではなく、量の多寡云々ではなく、自然と整うということです。

お金だけでなく、人間関係その他、自然と整います。

 

それは個別の事項に一個ずつ対処するのではなく、世界の中心という「自分」を大事にすることによって、自然とそうなるのです。

その「うまくいく」は、あなたが想像していたような「うまくいく」ではないかもしれません。

しかし、物事はすでにうまくいっているのです。想像と違ったとしても。

 

中心を外さないことです。

そうすると周辺は、自然と整います。

周辺に手出しをすると、バランスが崩れます。

ものごとは「勝手に」うまくいくのが、本来の姿です。

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