答えはすべて本質にある

あなたは本当は、何も欲しくないのです。

別に欲しいものなんて、何もありません。

ただ単に、そのことを忘れているだけです。

存在の本質は、何も欲しがらないからです。

 

今単純にこう言われて、「たしかに」と思う人もいるでしょう。

あるいは、「いや、欲しいものなんていっぱいあるよ」と思う人もいるでしょう。

それは、あなたがどこに着目しているかによります。

 

存在の本質を見ていれば、「たしかに」と思うでしょう。

表面を見ていれば、「いや、欲しいものなんていっぱいあるよ」と思うでしょう。

欲しいものがいっぱいあるのが問題なのではありません。

ただ単に、自分の本質は、何も欲しがらないという話です。

 

「問題」とは何でしょうか。

それは、欲しいものが手に入らないという状況です。

国と国の争いから個人の争いまで。

それは全部、「欲しいものが手に入らない」という状況のことです。

世界の全員、欲しいものがなければ、世界は平和です。

欲しがるから、争いが起こります。

 

存在の本質は、欲しがりません。

何も欲しいなんて思いません。

そのことは誰でも、本質に居てみればわかります。

つまり本質的には、問題は何もないのです。

問題は全部、「表面的」なことです。

 

あなたは、自分が今問題と感じていることと、自分が何かを欲していることを、結び付けて考えることはなかったかもしれません。

しかしそれは、そういうことなのです。

何かを欲しているから、問題を抱える羽目になっているのです。

 

そしてその問題は、本質に居ることによって、解決します。

なぜなら本質は、欲しがらないからです。

 

 

これは、欲しい気持ちを無理に抑えることとは違います。

それは全然違う話です。

本質を見に行った。そしたら本質は「何も欲しがらない」だった。それをただ確認した。

そういう話です。

本質に確認しに行かずに、表面にいたままで、その表面にある欲しい気持ちを無理に抑えることとは、また全然違う話です。

 

欲しい気持ちを抑えることと、何も欲しくないという状態を確認することは、全然違う話です。

本質を見に行けば、すべてがそこにあります。

不自然な操作、無理な捻じ曲げ、そういうものはありません。

本当のことが、そこにはあります。

その本当のことを、確認するのです。

「本当のことは何なのかな」と、本質にそれを確認しにいくのです。

 

問題は、なくそうとするのではありません。

それと戦うのでもありません。取り組むのでもありません。

「問題」って何なのかな、と、本質にそれを確認しにいくだけです。

本当のところは何なのか、それをただ単に知るだけです。

そうすると、本質的にそんなものは無いと知る。

それだけです。

それで終わりです。

 

このように、本質は強力です。

表面にいたなら、永遠に問題との格闘を続けていなければいけなかったところを、一瞬で解決します。

 

本質は、「何が本当か」を教えてくれます。

本当のことは、最強です。

真実が、最強なのです。

やめることの意義
「全てを無くす」「何もやらない」という話をよくしています。 それがうまくやる秘訣だと。 でも、全てを無くすと、すごく寂しい気持ちになんるじゃないかと思います。 何もやらないと、すごく空しい気分になるんじゃないかと思います。 それはおそらく、...

 

その本質を、あなたも自分の中にもっています。

その本質が、あなた自身ですから。

本来の自分。

それが本質です。

 

本質は、どこかよそに探しに行くものではありません。

自分自身が、本質です。

本質が「本質はどこだ?」と探しに行くのって、おかしいでしょう?

自分自身にいることによって、回答を得ます。

つまり、最初から答えは知っているのです。

ただ単にそこを見ていないだけです。

答えをそこではなく、外に見に行っているのです。

 

「どこを見ているか」

 

すべての答えは今まで取りに行っていたのとは逆方向。

外ではなく、内にあります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました