(前回の続き)
見ること。
それは、「それが、そうである様を、ただ見る」ということです。
実につまらない、何の興奮も感動もない、退屈極まりない行為です。
すぐにその「退屈さ」に目が行きます。「つまらなさ」に目が行きます。
あるいは、何かすごいことが起こるかも、起こって欲しいという「期待」に目が行きます。
つまり、注意の的が、それそのものではなく、「退屈」とか「期待」に行ってしまうのです。
しかしその退屈や期待すら「ただ見る」ことができたら、どうでしょう。
それはそれで問題ありませんね。
見る対象は何でもいいのです。
見る対象が何であれ、ちゃんと見れているかどうかが問題です。
では、退屈や期待が出てくることの、何が問題なのでしょうか?
それは、それらとの「一体化」です。
退屈や期待が出てきたとき、普通はその退屈や期待の中にどっぷりと浸かっています。
あなたは「退屈」それ自体、「期待」それ自体になっています。
退屈や期待の真っただ中にいて、その退屈や期待を「見る」という発想は全くありません。
あなたは「退屈」や「期待」そのものです。
退屈や期待は出てきてもいいんです、それを「見る」ことができるなら。
「見る」ということはつまり、「それ」との一体化から抜け出し、「それ」の外に出る、ということとです。
見るにおいては、「何を」見るかは問題ではありません。
見るの要点は「対象との一体化から抜け出す」ということです。
対象との一体化から抜け出すことによって、はじめてそれを対象として捉え、目の前にあるものとして「見る」ことができます。
退屈や期待が生じたとしても、それとは一体化せずに、対象として「見る」ことができれば、何の問題もありません。
つまり問題は、「物事との一体化」ということです。
…
我々は普段、物事との一体化の中で生活しています。
「ああ、会社に行くのが憂鬱だ」
「でも明日は1ヵ月ぶりに恋人に会える、嬉しい!」
「でも貯金が少なくて将来が不安だなぁ…」
その時々で憂鬱そのもの、嬉しさそのもの、不安そのもの、になっていますが、それを「眺める」という発想はありません。
その時の気持ちや状況と完全に一体化しながら生きています。
山あり谷ありの人生ってやつですね。
ある時は山の頂上にいて、ある時は谷のどん底にいます。
実際に自分の足で登ったり下ったりしてハーフー言っています。
しかし、それを「眺めて」みたらどうでしょうか。
実際にハーフー言うのではなく、その状況を眺めてみたらどうでしょうか。
山や谷に実際に「居る」のではなく、その状況を「眺める」のです。
その時あなたはハーフー言っていません。
山も谷もやはりそこにありますが、実際にそこに居るときと違って、あなたはくつろいでいます。
山の形を変えたり、谷の形を変えたり、歩くコースを変えたり、歩くペースを変えたり。
普段みなさんが一生懸命取り組んでいる「人生の改善」とは、そういうことです。
「面接のテクニック」「恋人をゲットする方法」「○○健康法」
しかし、それらが本当の意味で人生を変えることはありません。
なにしろ「やっていること」自体は同じですから。
根本的に人生を変えるとは、「一体化から抜け出す」ということです。
一体化から抜け出し、根本的にあなたがいるポジションを変更する、ということです。
そのために、冒頭の「見る」をしましょう、ということなのです。
…
それを、それとして、ただ見る。
それが、一体化から抜け出したポジションです。
一体化から抜け出すと、全てはフラットです。
山頂も谷底も、ただの「それ」という意味において同列です。
山頂はただの山頂、谷底はただの谷底です。
山頂も谷底も楽しみながら、あなたは安全にくつろいでいます。
もはやハーフー言っていません。
本当に「見る」ことができたらなら、それは実は退屈でも空虚でもなく、ワクワクと充実なのです。意外な逆説ですが。
どっぷり一体化するのではなく、ただ眺めることができれば、とてもとても余裕ができるのです。
生きるか死ぬかの苦悶も、ただ眺めることができれば、拍子抜けするくらい、ほとんど笑っちゃくくらい、ただの「それ」です。
というか雲散霧消します、苦悶とかそういうものは。
そんなものは初めから無かったのです。
自由の感じ、余裕の感じが自然に湧き上がります。
本来性に目覚めます。
あなたは自由です。
だから「見て」ちょうだい、という話。(笑)
わからなくてもいいから、とにかく「見て」。
見ようとしてみて。
見ようとし、見続けていれば、ぼやけたピントが合うように、だんだん見えてきます。(たぶん!笑)
とにかく見ないと始まりません。
見ることは、始まりであると同時に終わりです。
「見れ」ば、それで終わりです。
「見れ」ば、全てが解決します。
それはいまこの瞬間に出来ることです。
というか、いまこの瞬間にしか出来ません。
いまこの瞬間に、全てが解決し、全てが終わるのです。
コメント