「何もない」を見ることの意味

さらに続きです。

 

じゃあ、何もすごいことがない「何もないを見ること」に何の意味があるのか。

もうおわかりのように、何の意味もありません。

何の意味もないということが、究極の意味です。(笑)

 

何の意味もないってすごくないですか?

全てには何かしら意味があります。

意味がないと言いたくなるものにも、意味がないと言いたくなる時点で、何かしら意味があります。

なんだかんだ意味があります、全てに。

 

しかしながら、何の意味もない、ゼロ、すっかりゼロで何もないって、ある意味究極の意味です。

全ての何かは、何かしらです。何であっても、何かしら何かです。

全くのゼロって、ありそうで、ありません。

 

しかしながら「それ」は、全くのゼロです。

これが究極の意味でなくして、いったい何でしょう?(笑)

 

いや、笑いますよね、ホントに。

まじかー!ってなりますよね普通に。

ゼロですよ、ゼロ。底抜けです。

 

底抜けでありたいと思いませんか?  無限でありたいと思いませんか?

それはどこを見てもそうだったと。

そうでないことなんてありえなかったと知った日にゃあ、どうですか?

笑うしかないでしょう?(笑)

 

いや、意味はないですよ。

「それ」を見たからといって、何の意味もないですよ。

でもその意味のなさが図抜けてるんです。レベチです。

それこそ日常のレベル感とは全く別次元の世界線です。

意味がなさ過ぎて究極の意味に転じてしまった、ある意味世界がひっくり返る瞬間です。

 

パラドックスですか?

パラドックスです。

意味のないことに見向きもしない、くだらないもんだと思ってしまう人間心では見過ごしてしまう、究極の意味です。

だから人間心を捨てなくてはいけませんね。

浅はかな人間心では見えないのです。

 

とりあえず意味を捨てて裸になった時に、「何もない」と同調するでしょう。

何もかも捨てて「何もない」になれた時に、何もないの意味がわかるでしょう。

 

何かを求めているうちは、何もないにはなれません。

「何もいらん」と心底思えた時、何もいらない世界が実際にそこに広がっていることでしょう。

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました