世界の実質と我々が向かう場所

世界の実質は無であるという話は、これまで何度もしています。

というか、その話しかしてないくらいです。(笑)

 

そして、我々の衝動も、突き詰めれば結局、無へと至りました。

本当のことを探ると行き着く場所

 

ここにおいて、世界の実質と、我々の衝動は一致します。

世界がもともとそうであるところに、我々も向かいたいと思っているのです。

 

しかし、有の有としての衝動も、まだ残っています。

つまり、拡大・成長を志向する力です。

有の上にさらに有を重ねる、慣性の勢いです。

 

我々には、拡大・成長への志向と、無への志向の、両方があるのです。

 

 

有は有として、より大きく、より強く、より良くなりたいという衝動を持っています。

基本的に現代の人は、その衝動と共に生きています。

 

経済は拡大成長すべき、企業は拡大成長すべき、個人は拡大成長すべき。

もっとキレイな彼女、もっと素敵な彼氏、より高い地位、より沢山の収入、より素敵な経験。

 

有としてのそういう衝動を抱えたまま、それが最終的に向かう先の「死」に対する恐怖も抱えたまま、行き着くところまで、行こうとしています。

向かう先は「死」です。

それらがやがて、崩壊する場所です。

拡大成長は、そういう空しさを孕んでいます。

 

食べられるために太るブタ。

落ちるために上る階段。

 

それをやめたいと思った人が、無を志向します。

「もうええわ」って。

 

 

「何が良い」とかは無いのです、もはや。

良いも悪いもないのです。

ただのサイクルです、それは。

 

生まれて、死んで、また生まれる。

生まれて、死んで、また生まれる。

 

夢も希望も飲み込み、ただ寄せては返す波のように、繰り返すサイクル。

 

それに乗っかろう。

いやもう乗っかってるね。

 

やらなきゃいけないこと?

もうどっちでもいいね。

到達すべき場所?

どっちでもいいね。

 

ただストップします。

奮闘も、情熱も、悔恨も、

良いも悪いも、好きも嫌いも、

ただストップします。

 

 

 

「ストップ」

 

 

 

そこ。

どこ?

 

そこは、どこ?

 

わからなくていいです。

わからないままで、いてください。

ただ、いてください。

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