望んだものが手に入るのは、実は幸せなことではありません。
それは地獄の始まりです。
熱望していたものが手に入った。
その瞬間は幸せです。
でもそこが、地獄の始まりです。
それに執着を引き起こす、あるいはその快感が病みつきになり、さらなる熱望を引き起こす。
いずれにしても幸せは一瞬で、その後はどっちに転んでも地獄です。
望みを叶えるということは、悪夢の始まりです。
「でも、望んでそれを叶えていくのが人生なんじゃないの?」
普通はそう思います。
でも多くの人が実際に経験しているのは熱望しても叶わない地獄、あるいは熱望して叶う地獄ではないでしょうか。
熱望はいずれにしても「地獄」です。
そんな地獄を生む熱望は、どう取り扱えばよいのでしょうか。
…
人間の生というものは、浮かんでは消える知覚(認識・対象物)の繰り返しでした。
熱望も、そんな知覚対象のひとつです。
波の一形態です。
そして、熱望における苦しみは、それと一体化することによって生まれます。
熱望と自分を一体化することによって、熱望が引き起こす様々なことに巻き込まれ、翻弄され、それが苦しみや問題となります。
熱望と一体化することによって、熱望が叶う快感と一体化し、熱望が叶わない苦しみと一体化し、熱望が叶ったあとの侘しさと一体化し、熱望が生む執着と一体化します。
実際は、望みが叶うことも叶わないことも問題ではありません。
それはただそうなだけですから。
それをただそうのままにしておくだけです。
望みは叶ってもいいし、叶わなくてもいい。
それはただそうなっているだけです。
「そんな人生なんにも楽しくない。自分の望みをトコトン追いかけて達成したい」
もちろんそれもいいでしょう。
それもただそうなっているだけです。
ただあなたが熱望によって苦しみを多く体験している、そしてそこから離れたいと思っているなら、一体化をやめてみるという選択肢はあります。
いま、一体化によってそういう状況になっていることがわかりました。
では、そのまま苦しみを選択し続けるか、それとも一体化をやめる方向に向かうか。
「やめたくてもやめれない」
それもひとつの選択です。というか出来事です。
そして「苦しみはもうたくさんだ」と、解放への道を選択することも、もちろん可能です。
…
望むこと、そしてそれにまつわる苦しみ、喜び。
それは人生の中で大きなウェイトを占めます。
というか「望んで、それを叶える」は、一般的には人生そのものと言えるかもしれません。
でも実際、望みは叶えるものではなく、叶うものです。
もっと正確に言うと、叶うという出来事が起こる、というものです。
(もちろん叶わないという出来事も起こります)
それは「自分が叶える」というものではなく「叶うという出来事が起こる」というものです。
「じゃあ何もしなくてもいいのか、寝て過ごしてれば願いは叶うのか」
叶うかもしれませんし、叶わないかもしれませんね。
逆に頑張って努力しても、叶うかもしれませんし、叶わないかもしれません。
引き寄せの法則なんかを使えば、叶うかもしれませんね。
もちろん、叶わないかもしれません。
あなたは起こる出来事をただ享受すればいいのです。
叶ったなら叶ったという出来事を、叶わないなら叶わないという出来事を。
やってくるものをただ享受すればいいのです。
あなたにおいてその出来事が起こった。なぜ?
なぜかはわかりません。
しかし、現にやってきたのです。その子が。
ウェルカムして歓迎すればいいのです。
素晴らしい奇跡ですよ? あなたにおいてその出来事が起こったことは。
この奇跡をなぜ享受しない?(笑)
毎日毎瞬が奇跡ですよ。あなたはそうは思わないかもしれませんが。
あなたがえり好みしなければ、それは素晴らしい奇跡です。
楽しいこと、嬉しいこと、それだけが享受だと思っていませんか?
だからえり好みも発生しますね。
でもそうじゃありません。
楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、退屈、不安、全てが享受です。
苦しさも、恐怖も、それそのままに享受です。全てが恩恵です。
「苦しめるなんてすごい! 怖がれるなんてすごい!」
見るもの、聞くもの、味わうもの。
全てが驚異であり、恩恵であり、奇跡です。
それはそういう「解釈」を採用することによって「そうする」わけではなく、逆にそういう解釈を外したときに「そうなる」ものです。
「願う」→「叶う」→「幸せ」
それはひとつの解釈ですね。
自分で作った(あるいは世間から与えられた)そんなルールのゲームに、自ら本気で取り組んでいます。
それはそれで面白いでしょう。
でも本気になりすぎて苦しむ人も中にはいます。(というかそっちの人のほうが多いでしょう)
熱望が叶わない地獄、そして熱望が叶う地獄。
熱望はただの波です。
そして叶うも波だし、叶わないも波です。
そして全ての波は、恩恵です。
思い出してください、あなたは波じゃなくて「海」です。
海は全ての波を、ただ享受すればよいのです。
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