ものごとはただ起きているだけ。
それが事実ではないでしょうか。
「自分がそうしたからそうなった」
ではなぜ自分はそうしようと思ったのでしょうか。
それは「そうしようと思う」が「起こった」からではないでしょうか。
よく見ると世界はただ起こっているとしか言いようがありません。
出来事、出来事に対する苦悶、喜び、悲喜こもごも、感情、思考、感覚。
あなたが捉えることのできる「全て」。
全てはただ起こっています。
そうであるなら、私たちができることは何もありません。
私たちが「何かをやっている」と思っていることは、「何かをやっている」という「思考(思い込み)」であり、それすらもただ起こっているわけですから。
空しさが襲うかもしれません。
一体自分の人生は何なんだ? と。
今まで自分が築き上げてきたもの、自分が成し遂げたもの、手に入れたもの、自分を構成する全て。
それらは全部、ただ起こったことであり、自分とは何の関係も無いわけですから。
でもそれは同時に解放でもあります。
自分という檻からの解放です。
しなくちゃいけないことは何も無い。
努力も奮闘も必要ない。
苦悶も葛藤も無縁だ。
自由だ。
空しさを感じるなら、「空しさを感じる」がただ起こっています。
自由を感じるなら、「自由を感じる」がただ起こっています。
この、にべもない、無粋で興ざめな事実。
それはただそれであるだけという、何の付着物もない純粋すぎる事実。
その事実を見た時、あなたの中では「何が起こる」でしょうか?
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