人生を選択する

「わからないんです」と人は言う。

「これがわからないんです」「あれがわからないんです」「これのここの部分がよくわからないんです」

 

しかし、「わかる」ということは、重要ではありません。

わからなくてもいいんです。

わからなくても問題はありません。

 

わかるかどうかよりも、「今、何を感じているか」が重要です。

わからないとき、不安、焦燥、恐れを感じています。

その「感じているもの」のほうが、より重要です。

 

 

今、感じていること。

フィーリング。

これって結構、見過ごされています。

 

それよりも、「何であるか」や「どうであるか」が重要視されています。

肩書、見え方、意味、解釈。

 

「気持ち」がなぜスルーされるのかというと、目に見えないからです。

あなた以外の誰も知らないからです。

それは全然「パブリック」ではありません。

誰とも共有できないもの。

それはとてもパーソナルなものです。

だから、自分がそれをどう取り扱うかが全てです。

自分がそれを、取るに足らないもの、大したことないもの、意味のないもの、と取ってしまったら、それはそのままそういうものとして確定してしまいます。

 

外の世界には、もっと重要で、もっと深刻で、もっと意義がある(と人が言う)ものがあふれています。

多くの人がそう言うので、そうなのだろうと思ってしまいます。

数がモノを言います。

外のものが重要で、内のものは閑却されている。

それが「普通」の状態です。

 

しかし自分を生きるとは、パーソナルなものをこそ最大限尊重することです。

つまり「自分の気持ち」です。

今、自分が、何を感じているかです。

 

 

あなたは、何を感じていたいだろうか。

何を感じて、日々暮らしたいだろうか。

 

あなたが感じたいものを、感じたらどうだろうか。

あなたが感じたいことを感じるように、行動したらどうだろうか。

 

食べ物、会う人、行く場所、買うもの。

見るもの、聞くもの、話すこと、触れること。

選択の余地はあるはず。

今、この瞬間、できることはあるはず。

 

自分の気持ちを、最大限尊重したらどうだろうか。

ほかの誰かのためではなく、未来の自分のためでもなく、今この瞬間の自分のために。

いつも置き去りにされている、今この瞬間の自分のために。

 

「今、自分が感じていること」

それは何だろうか。

それはあなたの感じたいことだろうか。

違うとしたら、再選択は可能だろうか。

 

今できることは、何だろうか。

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