本当のことを知る

というわけで、われわれにできる努力があるとすれば、それは何でしょうか。

それは「無くす」ということですね。

溜め込む、とか、抱える、の逆、ということです。

捨てる、無くす、消し去る、です。

 

それはもう無いのです。

そして、あれはまだ無いのです。

終わったことはもう無いし、これからのことはまだありません。

 

じゃああるのは何かといえば「今」ですね。

そして唯一のその「今」も、いってみれば過去という青い面と、未来という赤い面が接する境目、みたいなもので、そこに「実線」はありません。

線のように「見えている」だけで、実際にそこに線が引いてあるわけではありません。

 

「ない」と「ない」の境い目が、「今」です

つまり、何もないのです。(笑)

 

本当のことは何かといえば、何もないのです。

何かがあるとすれば、それは「ある」という思い込みによって、「ある」ということにしてしまっている状況がある、ということです。

つまり、何もないところに、「ある」という思い込みによって、その人にとってだけの何かを出現させているのです。

その思い込みは人それぞれなので、意見が合わないということが起こったり、あるいはとてもぴったり合う人がいて、この人は運命の人だと思ったりします。

 

思い込みが錯綜しているのが、この現実世界です。

ですから、その思い込みを無くせば、現実世界から浮遊します。

解脱とか悟りとか呼ばれるものでしょう。

こういう単語を使うと何かわれわれの日常とかけ離れた遠い世界を連想しますが、実際はこんなにもシンプルなことです。

つまり思い込みを無くすという、ただそれだけです。

 

ですから「無くす」ことが、われわれにできる、真実へ到達するための努力だと言えます。

無くすとは、真実に立ち返るための方法です。

 

そしてそれは、努力というほどのものでもありません、実際。

なにしろ指一本動かす必要もありません。

心の中で「そう思う」だけです。

だからより正確に言うならば、「無くすということを覚えておく努力」と言えるかもしれません。

 

 

「無い」ということの気持ちよさ、清々しさ。

それはきっとみなさんも理解できることでしょう。

使わないものやいらないもので埋まっていた部屋を片付けると、空しいという気持ちより、清々しい気持ちになりませんか?

それと同じで、心の中のごちゃごちゃも無くすと清々すると思いませんか?

 

それは、無くそうという意思だけで完結します。

指先一本動かす必要もありません。

心の中だけで完結してしまいます。

「そうしようと思う」

それだけです。

 

だから、一瞬で清々します。

「やーめた」と決めるだけで、バッサリ捨て去るだけで、一瞬で心が軽くなります。

全ては心の中だけの問題です。

 

なぜなら、事実は何もないからです。

実際には何の重荷も背負っていません。

背負っている「気がしている」だけです。

実際に100kgの重りを背負って生活していますか?していませんね。

その重苦しさは、ただの「気」ですね?

 

あらためて驚愕の事実です。

苦しみも重さも、心の中だけで「そう思っていた」だけなのです。

そんなものは事実として、どこにもありません。

 

「いや、事実として私はこれこれこういう問題を抱えている」

とおっしゃるかもしれませんが、その「事実」なるものがつまり、思い込みです。

その思い込みのことを「事実」と言っているだけです。

 

実際、その問題なるもの、苦しみなるもの、重荷なるものをここに提示してみてください、と言われてできますか?

せいぜい借金の証書とか医者の診断書とかが関の山でしょう?

それは「きっかけ」とか「原因」と言えるかもしれませんが、それそのものが苦しみの本体ではありませんね。

よくよく考えたら「それそのもの」は提示できませんね。

なぜでしょうか?

 

そんなものは無いからです。

無いから提示できません。

 

「いや、私の心の中に、確実にある」

と、次にこうきますね。

そうです、それがあるのは、心の中だけです。

 

つまりそれは、概念です。

実体のない概念です。

あなたが「ある」としたならば、それは「ある」ということになってしまう、概念です。

全部心の中なのです、驚いたことに。

だから心の中をどうにかしたならば、全部がどうにかなってしまうのです。

 

それはあなたが在らしめたからあるわけで、無さしめればありません。

前回もみたように、もともとは何もありません。

もともと何もないところに、「ある」といって、それを在らしめているのです。

さらにそれを「事実」と言ってしまうくらいに、確固たる存在感を与えます。

そうしておきながら一方で、そこから解放されたいとも言います。

 

これはなんですか?

矛盾ですね。自家撞着ですね。

心の中で独り相撲を取っているのです。

さあどうやって勝つか、あるいは負けるか、どうだ、こうだ、と一人で延々うなっているこの状況を見たならばどうですか?

あほらしくてソッコーやめるでしょう?

事実を見たならば、あほらしさにキョトンとなります。

 

思っていること、考えていること、悩み、憂い、希望、全部。

単純に全部捨ててしまいましょう。

どうやって勝つかではなく、そもそも相撲をやめるのです。

 

そうしたらあっというまに心が軽くなります。

全部捨てちゃってなんにもないんだから、軽くなります。

いままでうんうんうなって取っていた相撲をやめるわけですから、ホッと解放されます。

 

何もないって解放ですよね。

単純に「捨てる」ことによって、解放は起こります。

すべては独り相撲でした。

もともとは何もありませんでした。

 

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