今、この瞬間を生きる

今、この瞬間を生きる。

過去の後悔をせず、未来の心配をせず、ただ、今に100%向き合って生きる。

それは正しい生き方、ある意味普通の生き方です。

何のテクニックでもコツでもありません。

ただ単に、今に向き合って生きる。

それはあまりにも普通過ぎて普段は見向きもされない、偉大な生き方です。

 

事実というものは、ただ単に今があるだけです。

過去はもうありませんし、未来はまだありません。

ただ単に、今だけがある。

それだけが事実です。

この事実の素晴らしさを実感しましょう。

 

今あるものが、今あるように、ある。

それだけです。

あまりにもシンプルです。

シンプルすぎて、いちいちそこに目を留めようとはしません。

そこにあえて、目を向けるのです。

 

無いものに目を向けるのではありません。

事実として実際にあるものに、目を向けるのです。

 

つまらない人生も、はなやかな人生もありません。

そんなものは、いま現に、どこにもありません。

つまらない人生は解釈であり、はなやかな人生は妄想です。

そんなものはいま現に、事実として、どこにもありません。

 

事実としていま現にあるものはなんですか?

スマホの画面であり、部屋の壁であり、コーヒーのカップであり、エアコンの音です。

むなしいという気持ちであり、楽しいという気持ちであり、どうしようかという迷いであり、あの子どうしてるかなという考えです。

 

それらが何かをもたらしてくれるわけではありません。

それらに何かを期待するのではありません。

ただ単に「そうである」という事実を見るのです。

 

事実を見るという「態度」が大事です。

妄想に迷い込むのではなく、事実と共に、事実として在る。

ただ単に、事実として在る。

それが最強です。

事実が最強です。

なぜなら、事実こそが実体だからです。

 

いまあることが、あるようにある。

それだけが事実であり、その事実と一体化するとき、それは宇宙との一体化であり、自然体ということです。

それが人間本来の姿です。

自然な存在として、本来あるべき姿です。

 

未来に期待するのをやめる、ではなく、未来に期待しているというその事実を見るのです。

過去の後悔をやめる、ではなく、過去の後悔をしているというその事実を見るのです。

 

未来に期待しているのは、事実です。

過去を後悔しているのも、事実です。

事実を事実として、ただ単に認めるです。

何かをやめようとしたり、何かをやろうとしたりするのではなく、ただ単に、事実として起こっていることを、事実として認めるだけです。

 

いま現にあるものは、事実です。

それを曲げたり否定したりするのではなく、ただ単に「そう」だと認めるのです。

「そう」だと認識するのです。

ただ単に、それだけです。

 

現に「そう」であるものを、「そう」であると認める。

それだけです。

それが、あまりにも正しい「在り方」です。

 

「ケーキが食べたい」という思いが起こったら、「いや太るしな」ではなく「そんなお金ないっしょ」でもなく、ただ単に「ケーキが食べたい」以上、マル。です。

しかしもっと厳密に言うならば、「いや太るしな」が出たら、それもそれだし、「そんなお金ないっしょ」が出たら、それもまたそれです。

 

どこまでいってもキリがないですが、つまりは「態度」です。

「それ」を「そう」だと認める態度です。

否定したり捻じ曲げたりしないのです。

「それ」は「それ」。以上、マル。

その「態度」です。

 

あるものをあるままに認める。

それが本来の在り方です。

なぜなら、あるものがあるままにあるのは、どうしようもない事実だからです。

それはどう考えても否定できない、事実だからです。

 

どう考えても否定できない事実を、否定したり捻じ曲げたりせずに、100%そのまま認める。

それはあまりにも気持ちがいい、あまりにも本来的すぎる態度です。

どう考えても間違っていない、どう考えても正しすぎる態度です。

 

そして、そんな本来の在り方にあるとき、私たちは最強です。

つまり、最強の状態でいましょうと、そういうことです。

私たちに何か気を付けるべきことがあるとするなら、それは、本来の私たちでいましょう、ということです。

努力、勤勉、捻じ曲げ、曲解。

そいういうことではなく、あるがまま、本来の状態でいましょう、ということです。

 

寂しいなら寂しい、悔しいなら悔しい、恥ずかしいなら恥ずかしい。

楽しいなら楽しい、嬉しいなら嬉しい、素晴らしいなら素晴らしい。

そのままです。

それはあまりにも、そのままです。

 

 

物事は起こります。人生は起こります。

事実はただそれだけなのです。

事実はあまりにもシンプルです。

あまりにもシンプルすぎて面白くないから、人間はわざと複雑にして楽しんでいるわけです。

そして、逆に複雑の中で迷子になっています。

迷子になったなら、ただ単純に本来のシンプルに戻れば、それで終わりです。

 

事実と一体化する。

そして、事実はあまりにもシンプル。

世界とは、宇宙とは、「ただそれだけの話」です。

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