すべてを取っ払った時にそこにあるもの

すべてを取っ払った時に、そこに何が残るでしょうか。

自分の名前も、住所も、職業も、年齢も。

人間関係も、家庭環境も、思考も、思い出も。

 

すべて。

 

すべてを取っ払った時に、何が残るでしょう?

それを実際に確かめてみるのは、とても興味深いことだと思いませんか?

 

言ってみれば「無」です。

無を実際に見てみるのです。

 

 

もともとは全員が無です。

無であるからこそ、その上にいろいろ乗っかることができます。

悩みも、希望も、後悔も、幸福も。

 

もともとは無です、どう考えても。

 

その上にいろいろ乗っけて遊んでいるだけです。

悩みも、苦悩も、快感も、羞恥も、全部遊びです。

真剣な思い煩いも、逃げ出したいくらいの気持ちも、全部遊びです。

そうは思えないという気持ちも、全部です。

 

それは本当かウソか?という話ではありません。

それは実際に確かめてみればいい話です。

本当かウソかを「信じる」必要はないのです。

事実を見ればいいのです。

 

「おまえ絶対本当って言ったじゃんか」などと、他人のせいにするのはやめましょう。

他人に力を明け渡すのをやめましょう。

あなたの人生は、あなたが主人です。

自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の頭で判断しましょう。

人のせいではありません。

 

人が何を言ったからといって、信じる必要も鵜呑みにする必要もありません。

あなたにはあなたの目があり、耳があります。

実際にその目で見、その耳で聞きましょう。

 

他人に頼るということは、自分を弱くするということです。

あなたはあなたでいていいんだし、それは他人が他人でいていい理由と同じです。

 

 

実際に自分の目で確かめてみてください。

全てを捨てればどうなるか。

 

苦悩を握っている、幸せを握っている。

どこかで何かを握っていませんか?

 

なんにせよ握っていると、捨てたことにはなりません。

単純に捨てましょう。

捨てにくいものでも、単純に捨てましょう。

それで終わりです。

 

幸せなんていらんのです。苦悩もいらんのです。

なんにもいらんのです。

そのことの安心感がちょっとでも感じられるなら、捨てることへの可能性が開けます。

 

単純です、シンプルです。

ただ捨ててみればいいのです。

 

実際に物理的に捨てる必要はありません。

実際にゴミの日に何かを出したり、人間関係を整理したり、職を変えたりする必要はありません。

 

頭の中だけです。

頭の中だけでいいんです。

頭の中だけなら、今すぐ捨てられます。

 

幸せになりたいとか、結果を出したいという思いも捨てます。

そういう思いは当たり前すぎて、思っていることすら意識していませんが、一度それが意識されたなら、捨てることは可能です。

頭の中だけの話なので、単純にやってみればいいのです。

何のリスクもないでしょう。

 

 

何かを求めているんですよね、結局は。

何かを求めているから、こういうブログも読んでいます。

 

「求める気持ちも捨てる」

これが一番難しいかもしれませんね。

 

でも今気がついたならば、それも捨ててみましょう。

頭の中だけです。

 

「うん、求める気持ちも捨てた。で、どうなるの?」

となったら、結局求めていますね。(笑)

「で、どうなるの?」と、結果を期待しています。

 

何も期待しません。

ただ単に捨てて、それで終わりです。

 

普通は「そんなことしてもムダ、なにも得られないなら、やるだけムダ」となります。

だから何も得られないのです。(笑)

捨てたら入ってくるのに、捨てられないのです。

 

「捨てたら入ってくるなんて、到底信じられない」

はい。だから信じた通りの、その通りの現実になっていますね。

 

「こんなにも求めているのに、一向に手に入らない」

はい。だからその通りの現実が、今ありますね。

 

全部あなたが信じている通りです。

だからすべては「頭の中」なのです。

 

頭の中が変われば、現実が変わります。

実際に現実が変わらなかったとしても、現実が変わったのと同じことです。

 

同じ洋服を「みすぼらしい服だ」と思っていたのが、実はヴィンテージものの最高級品だったことがわかったりして「素晴らしい服だ」に変わると、現実としてその洋服には何ら変わりがなくても、実際は変わったのと同じことです。

また、よくある話ですが、趣味の品なんかである人がとても大事にしているものを、他の全然興味がない人が見ても「ふーん」って感じですが、それは両者の頭の中が違うからです。

すべては頭の中が決めているわけです。

 

現実を変えるのではなく、頭の中を変えるのです。

 

そういう現実を作りたかったら、そういう頭に変えるのです。

逆に言うと、頭の中が変わらなかったら何も変わりません。

たとえ現実が変わったとしても、それを捉える頭が何も変わらなければ、何も変わってないのと同じことです。

 

 

要はすべて「解釈」です。

そして、その解釈をすべて取っ払うと「無」です。

すべては無の上に浮かんだり消えたりしている解釈です。

 

解釈の立場から物を見ると、その解釈が中心でそこから広がる景色が見えるわけですが、それらの解釈を全部捨てると、全体像が見えます。

ある解釈を中心に物を見ているのと、その解釈すら「一部」となる全体像を見ているの、その次元の違いがわかりますか?

 

すべての解釈を取っ払った時にそこにあるもの。

それをぜひ、あなたの目で、確かめてみてください。

 

「何で?」「何のために?」「そしたらどうなんの?」

そういう質問は、もう出ないはずですね。(笑)

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