幸せとは「味わう能力」

解明してみましょう、生きるということを。

生きるということは、普通の発想でいくと、物理的な身体を生き永らえさせることです。

ご飯を食べ、運動をし、排泄をし、睡眠をする。

生きるということは、物理的な身体を存続させることです。

物理的な観点から言えば。

 

ただし、それが生きるということとは思えない。

これもまた、普通の発想です。

何かもっと深い意義。

生きている意味みたいなものを欲します、普通の発想として。

「あー生きてる!」という実感が欲しいのです。

これもまた、普通の発想です。

 

同じ普通でも、観点が違います。

前者は、物理的な観点。

後者は、心理的な観点。

 

人は、物理的に身体を生き永らえさせるだけでは満足しません。

人生に何か、意味、意義、充実を求めずにはいられません。

ただ、飲んで食って死んでいくだけの人生に、我慢がならないのです。

 

 

意味、意義、充実。

それは何でしょうか。

何かはわからない。

でも、生きている充実感が欲しい。

 

グッとくる喜び。

心の底から湧き上がる歓喜。

これだ!という実感。

 

そういうものを求めてはいますが、実際には手にすることなく、日々を過ごしています。

なんとなくモヤモヤしながら。

 

求めているものと、手にしているもののギャップに、モヤモヤしているわけですね。

完璧な充実感を求めながら、それが得られない。

また、どうしたら得られるのかもわからない。

その現状に、モヤモヤしています。

 

でも、何かを始めなければ、始まらないわけです。

では、何から始めましょうか。

 

 

第一歩、そして究極の一歩は、「味わう能力の開発」です。

 

充実感、歓喜、幸せ。

どんなにそれらが目の前に転がっていても、それを味わう能力がなかったら、味わえません。

どんなに大金を湯水のごとく使って豪遊しても、味わう能力がなかったら、コンビニのアイスほどの幸福感も味わえません。

 

ストレッチリムジンの後部座席でシャンパン片手に「かったり~な」とか言ってるのと、公園のベンチで一口のアイスに舌鼓を打つのと、どっちが幸せでしょうか。

どっちが幸せかはわかりませんがしかし、何であろうと味わう能力がなかったら味わえないということです。

 

逆に言うと、味わう能力さえあれば、コンビニのアイス一つで無上の喜びを感じられます。

高級料理も100万ドルの夜景も必要ないのです。

 

喜びも充足感も「無い」のではありません。

あるのです、どこにでも。

ただ単に、ちゃんとそれを味わってないだけです。

 

テレビを見ながらご飯をかき込んでいて、ちゃんと一口ひとくちを噛みしめて味わってないのです。

そのご飯粒一粒ひとつぶからしみ出す、旨み、甘み。

それを一滴もこぼさないゾ、くらいの勢いで、ちゃんと味わってないのです。

 

「ちゃんと味わえてない」

 

そう、それは「今に集中できてない」ということです。

どこかうわの空。

何か他のことに、意識が飛んでる。

何かいいことないかなぁ、なんて思いながら、目の前のいいことを見逃してる。(笑)

ほとんどコメディですよね。

 

幸せも充実も、「何」ではないのです。

高級料理や100万ドルの夜景といった「何か」ではないのです。

何であろうと、それを「味わう能力」によって、幸せは味わえるのです。

「何」ではありません。

 

味わう能力が高ければ、胸いっぱいの深呼吸で、涙が出るほど幸せです。

さらに言えば、何がなくとも、幸せです。

ただ単に幸せです、意味もなく。(笑)

 

ここまできたら、全てはもう幸せでしかないのです。

何がどうとか、もう関係ないのです。

ただ幸せなのです。

 

味わう能力、枯れてませんか?

小さなことに難癖をつけて、そこにある幸せを見逃していませんか?

幸せは「何」ではないのです。

つまり、「どこにでもある」のです。

けなす能力よりも、幸せを見つける能力を磨いたほうが、幸せになれませんか?

そのまんまですけど。(笑)

 

幸せになりたかったら、幸せを感じる能力を磨くことです。

それは、高価なものを手に入れるよりも、ずっと難易度の低いことであり、そして幸せになることに関しては、ずっと確実性の高いことです。

 

ひとつひとつの動作をゆっくりし、じっくり味わうのです。

一滴も漏らさない覚悟で、味わい尽くすのです。

 

ちょっと伸びをするだけでも、筋が伸びていく心地よさを全身で味わい尽くす。

ただ歩くだけでも、心地よい足のリズム、綺麗な空、雲、空気の感触、小鳥のさえずり。

全て全て、全神経を集中して、味わい尽くすのです。

 

その時、完全に今に集中しています。

どこにも意識は飛んでいません。

完全に「今」と一体化しています。

完全に世界と一体化しています。

どこにも矛盾はありません。

 

完全円満が、そこにあります。

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