我々は普段、自分が気持ちよくなるという目的で動いています。
気持ちいい、楽しい、心地よい。
それが目的になっています。
しかし、本当の目的は「自分自身であること」です。
それは結果的に気持ちのいいことではありますが、気持ちのいいことを目指しているわけではありません。
ここに微妙な履き違えが存在します。
「気持ちいい」だけが目的ならば、他人を傷つけてもいいし、他はどうなってもいいとなります。
自分が気持ちよくなることだけが目的なら、他はどうでもいいでしょ?
ここに矛盾と葛藤が生まれます。
「自分の気持ちよさを追求していたら、なんか他人とぶつかるんだけど?」
まあそれはある意味当たり前ですね。
「気持ちよさ」というパイを、皆で奪い合うような現象が、そこには起きます。
人はうっかり気持ちよさを目指してしまいますが、それは勘違いです。
本当に目指すべきポイントは、「自分自身であること」です。
それは気持ちよさとは関係ありません。結果的に気持ちよくなることがあるにしても。
現にキリストは、自分自身であることを選択することによって、磔にされて死んでいます。
それは気持ちよさとは全然関係のない話なのです。
いや、気持ちいいにしても、気持ちいいの感覚が全然違います。
五感で感じる気持ちいいとは全然意味も次元も違います。
それはパワーであり、確かさであり、無限であり平和であり、底抜けです。
それは五感で感じるものではありません。
湧き上がってくる感覚です。
五感を通さず、直に感じる感覚です。
五感は忘れましょう。五感は関係ありません。
五感をいかに刺激するか。
そのことは完全に忘れてください。
五感を刺激するものを求めることを、とりあえずやめてください。
外に何も取りに行かないでください。
内です、内。
内に全てがあるのです。
外に向けてキョロキョロしてた目を、内に向けてください。
「なんかいいことないかな」と外をキョロキョロしていた目を、内に向けます。
あなたが真に欲しているものは、内にあるからです。
大いなる勘違い、してない?
外に答えがあると、外に求めるものがあると、思ってない?
外をいっくら探してもないですよ。
それは思ってもみないところ、「自分の中」にあったのです。
あまりにも逆です。
180°逆です。
でも、よく考えたら自分の中にしかあり得ません。
ちょっと落ち着いてよく考えてみてください。
当たり前のように自分の中にしかないから。
外にあるわけがないですよね、落ち着いてよく考えたら。
外にあるってオカシイでしょう。
本当に大事なものが、外にあるってオカシイでしょう。
素っ頓狂にもほどがある。
落ち着いてよく考えたら、普通にわかります。
落ち着きましょう。とりあえず落ち着こう。
慌てるから、早くなんとかしたいと急かすから、間違えます。
落ち着いて落ち着いて落ち着いて、とことん落ち着いてから始めましょう。
人がよく瞑想したりするのは、とことん落ち着くためでもありますね。
目的です。目的。
目的地を間違えたら、行き着く先も間違えます。当たり前に。
「いや、そこに行きたかったんじゃないんだけど」って、そこ行きのバスに乗り込んだのはアンタでしょって。
目的は「自分自身であること」です。
五感の刺激に惑わされないようにしましょう。
五感の刺激は最終段階、物質段階なので、具体的でわかりやすいです。
あれ、それ、これ。
具体的で確かさを感じます。
つい目が行きます。
でも、いつまでもそこに留まっていていいんですか?
いつまでもそのレベルにいていいんですか?
目的地は「自分」です。
自分行きのバスに乗りましょう。
それが最終的にあなたが行きたかった場所です。
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