「やりたいことをやれ」と言われても、やりたいことが何もない

何かをやるにしても、その動機はさまざまです。

 

なぜそれをやるんですか? と聞かれたら。

「やったほうがいいから」

「やりたいから」

「やるべきだから」

そんな答えが返ってきます。

 

この言葉たちには、それぞれ独特のニュアンスがあります。

何となくのイメージとして、やったほうがいいことよりも、やりたいことをやりたい。

やるべきことよりも、やりたいことをやりたい。

やりたいことをやるのが一番いい。

そんなイメージがあります。

 

「やりたいことをやれ」

これは歌のメッセージでも、ドラマのメッセージでも、よく使われる言葉です。

 

「やりたいこと」

 

しかしながらこれは、非常にクセ者な言い方です。

これは前回も言いましたが、「物質的に気持ちのいいことをすればいいんでしょ」と捉えられがちだからです。

「やりたいこと」と言われれば、短絡的に考えたらそうなるからです。

 

しかし、それが間違っていることは、前回お話ししました。

正しい目的は、気持ちのいいことよりも「自分自身であること」です。

 

だから、ただ単純に「やりたいことをやれ」と言われて、やりたいことをやっていたら、間違った方向に行ってしまう可能性があるのです。

 

自分自身に向かうとき、そこで起こる行動は「やりたいこと」なのかと言えば、スッキリ「はいそうです」とは言えないものがあります。

どちらかと言えば、やりたいかやりたくないかはあまり関係ない。

それはやっていることというよりも、「起こっていること」と言ったほうが近いから。

 

 

そして、

「やりたいことをやれ」

「う~ん、やりたいことと言われても思いつかない」

これは非常によくある図式ですね。

 

人はそもそもやりたいことなんてないのです。

 

やりたいことをやれと言われて逆に困ってしまう人が多いのは、むしろ当然です。

人はむしろ、何もしたくないのです。

 

休日を有意義に過ごそうと思ってたけど、結局寝て終わったって、よくある話じゃないですか?

普通に考えたら、何もしないで済むならそれに越したことはないと思いませんか?

やりたいことなんて、そもそもないのです。

 

「やりたいことをやれ」は、なんかよさげな言葉だけど、本当に実があるかといえば、そうでもない言葉です。

そう思っていた人も、少なくないはず。

 

では、もっと的確な言葉は、なんでしょう。

それは起こることを掬い取れです。

 

 

種を植えたとしましょう。

次に何をやりますか?

水をやって、雑草を抜いて、後は見守るだけです。

あとは勝手に、事が起こります。

芽が出てふくらんで、花が咲いたらジャンケンポンなんて唄がありましたが、芽が出てふくらんで、花が咲くわけです、勝手に。

どちらかといえば、やることなんて何もないのです。

自然の力が発動するのにまかせるわけです。

 

我々の場合も同じく、自然の力が発動して事が起こります、勝手に。

しかし人間の場合は、自然力の発動を自らつぶしてしまうことがよくあるのです。

何か自然の動きがムクムクと湧き上がっても、「そんなことやってもしょうがないし」と、わりとアッサリ切り捨ててしまうのです。

 

種を植えたあと、どちらかといえばやることなんて何もありませんでした。

我々の場合も同じく、どちらかといえばやることはありません。

事は起こるのですから。

しかし人間の場合は、その事が起こるのを、ほとんど無意識につぶしてしまうのです。

そもそも事の起こりを見てないし、見ていたとしても摘んでしまいます。

 

なぜなら内を見ていないで、外ばかり見ているから。

そして、内の感覚を信用しないで、外の情報を信用しているから。

内から見える景色と、外から見える景色
内から見える景色と、外から見える景色は違う。 だから、内から見ている人が「あれ」「それ」といっても、外から見ている人には通じません。 同じように見るには、同じ位置に立たなくてはいけません。 話が通じないのは、こういう仕組みです。 「立ち位置...
正しい目的を知る
我々は普段、自分が気持ちよくなるという目的で動いています。 気持ちいい、楽しい、心地よい。 それが目的になっています。 しかし、本当の目的は「自分自身であること」です。 それは結果的に気持ちのいいことではありますが、気持ちのいいことを目指し...

 

だから敢えて「掬い取る」という作業が必要になります。

 

 

やることなんて、本当に何もありません。

何もないことをしようとしているわけだから、「やりたいことをやれ」と言われても困ってしまう人が多いのも当然ですね。

 

やりたいことなんてありません。

じゃあどうしたらいいのですかといったら、起こることを掬い取るのです。

 

何も起こらなかったらどうするのですか?

何も起こらなかったら、何もしません。

何も起こらないのではなく、起こっていることを見逃しているのです。

 

なぜなら見てないから。

内を見ずに外を見ているから。

見てないから見逃すのは当然です。

見れば、見えます。

これもまた当然です。

 

事は起こっているのです、ちゃんと見れば。

それを「事」だと捉えてないのです。

 

トイレに行きたい、水を飲みたい。

知らないうちに肩に力が入ってる、呼吸が浅くなってる。

少し肌寒い、少し靴が窮屈、話が退屈。背中がかゆい。

なんか知らないけど踊り出したい、歌い出したい、しゃべり出したい。

あ、今この瞬間撮りたい。あ、今これ言いたい。あ、本当はこっちのメニューがいい。

 

いちいち掬い取らなければ簡単にスルーされてしまう、ごくごく小さな「起こってくる事」。

 

「え?そんなこと!?」という予断。

それが見逃しにつながります。

自分にとっての真の成功とは
「成功」とは、人それぞれ違います。 社長になって大金を儲ける。 有名になってチヤホヤされる。 それだけが、成功ではありません。 誰にとっても成功と言えること。 それは「真に自分自身でいること」です。 そして、真に自分自身でいる時、形としてど...

 

 

「事が起こること」

これは「やりたいこと」とはまた全然違いますね。

というか、そもそもなんか土俵が違いますよね。

そもそもなんか、かみ合わないハナシですよね。

 

「やりたいことは何か」「何をやったらいいのか」「何をやるべきか」

そんなことばかり考えていましたが、それこそがすなわち、外に目を向けているということです。

内に目を向ければ、そもそもやることは何もありません。

やることは何もなく、全ては「起こってくる」のです。

その「起こる」をサポートすればいいのです。

これなら簡単です。

 

「やる」からの解放。

やりたいことも、やるべきことも、やったほうがいいことも、何もなかったんだ!!

おーなんて楽なんだ!!!

 

植物に聞いてごらんなさい。

「アナタニハ ヤリタイコトガ アリマスカ」と。

なんにも言わないから。(笑)

 

なんにも言わずに、ただ風に吹かれてるだけだから。

コメント

タイトルとURLをコピーしました