最大の思い込みを外す

「思い込み」というのは、自分で思い込んでるとは気付かないからこそ、思い込みです。

他の人から見たら、ずいぶん偏った物の見方であっても、本人にとっては至って当たり前です。

こういった思い込みを、我々は少なからず持っています。

 

そして、不幸やイヤな気分というものが、こういった思い込みからもたらされます。

不幸やイヤな気分は、その思い込みからズレることによってもたらされます。

「こうあるべき」「こうであるのが当たり前」という思い込みからズレた事象が発生した時、イヤな気分は起こります。

 

親は子の面倒を見てしかるべき。

時間はキチンと守るべき。

 

たくさんの「べき」が、我々の頭にはインストールされています。

 

そして、それらを無くすことによって、ハッピーになるという方法論があります。

「ブロックを外す」などという言い方もされます。

謎に思い込んでいる思い込みを外し、自由になる。

そのためのメソッドもいろいろと開発されているようです。

 

思い込みが外れ発想が自由になれば、不幸も減るだろうと容易に想像できます。

幸福とは「それでいい」と思えることです。

「こうであるべき」という枠が外れ、「OK・アウト」のジャッジメントの基準がそもそもなくなれば、何でもよくなります。

 

何でもOK、すべていい。

それこそまさに、幸福ですね。

我々の人生は、枠を外して自由になる過程、とすら言えるえるかもしれません。

 

では、どうやって外すか。

 

 

これは、枠に対して一個ずつ個別に対処していくのではなく、枠のない世界にそもそも行く、ということです。

これのことを「瞑想」と呼んだり「神の国」と呼んだり「悟り」と呼んだりしています。

これは、普段の我々の活動が、横方向の移動だとすると、「上」方向への移動、ということになります。

 

どういうことかと言いますと、我々は普段、会社に行ったり家でくつろいだりと「生活」をしていますね。

その生活の活動とは、ゴミを捨てる、コンビニで買い物をする、書類に目を通す、会議に出席する、ランチを食べる、同僚とおしゃべりをするといった、個別かつ具体的なものです。

それらはある意味、「同列」です。

三次元世界での出来事、事象という意味で、同列です。

同列の中を行ったり来たりする。

そのことを、「横方向の移動」と言っています。

 

そして、神の国とは、縦方向の移動です。

それらと同列ではない、ということです。

別次元です。

横方向の移動しか知らない人からしたら、及びもつかない発想です。

「え?縦にも移動できるの!?」と、度肝を抜かれる発想です。

 

神の国への移行。

これを横方向に探してしまうわけです。普通の発想からすると。

そして、いつまでたっても無い無いと言っているわけです。

無いはずです。探す場所が違うから。

 

横じゃなく、縦です。

 

個別ではなく、全部です。

固有ではなく、普遍です。

「そこ」でも「ここ」でもなく、全体です。

 

上へと意識を引いていけば、全体をいっぺんに把握できます。

縦方向へと視線を引いていけば、地球も一個の丸になります。

地上という平面上で、横方向にうろうろとしていたその視点をググっと縦方向に引いていけば、地球も一個の丸という「全体」として把握できます。

 

「え?縦にも行けるの!?」というそのブレイクが、かなり根本的なブレイク。

我々は横方向にしか動けない、というのが、最も根本的な思い込み。

我々は地上を這い回る虫けらのような存在という思い込みが、最大のブロック。

盤上を行ったり来たりするコマのような存在という認識が、最大の大間違い。(笑)

 

発想の転換というものは、ここでこそなされるべきもの。

すなわち、横じゃなく縦。

これこそまさに、次元上昇。

三次元から多次元への、意識転換。

 

何かをすることによって、それはそうなるわけではありません。

何かをする、とは三次元内を横方向に移動することを意味します。

何をするかは関係ないのです。

どんな横方向の移動も、関係ないのです。

今いるその場所から、上方向へ移動する。

今、横方向のどの位置にいるのかは関係ない。

今そこから、上方向に移動する。

 

何もしない。

今、その場で何もしないだけ。

何もしない時、何もないに行ける。

何もないとは、個別の何物でもないということ。

つまり「全て」。

 

何もしないとはつまり、何をしててもいいということ。

横方向のどの位置にいてもいいということ。

横方向には壁があって移動できないこともあるでしょう。

しかし、縦方向なら、いつでもどこでも抜けています。

見上げれば青空が広がっています。

無限に抜けています。

底抜けに、抜けています。

前や後ろをキョロキョロしていた視線を、ふと上に向けるだけで、無限がそこに広がっています。永遠に。

 

思いもつかなかった発想。

 

常に何かをしようとしていた。

何かをすることによって、何かを得ようとしていた。

しかし「する」は三次元、横方向。

それはいつもの考え方。

 

「何もしない」は高次元、縦方向。

 

もっとも外すべき思い込みは、これです。

我々は縦方向にも行けるのだという、根本的なブレイク。

横方向だけであった人生を、根本的に覆す、新たな移動方向の発見。

 

どんなに行き詰っても、上方向にだけは行けます。

どんなに八方塞がりであっても、上方向だけはいつでもポッカリ空いています。

 

「み~あ~げて~ごらん~♪」

坂本九も歌っていました。

あなたも見上げてごらん?

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