よく、お悩み相談や、人にアドバイスを求めたりすることがあるかと思いますが、答えは自分が知っていますし、自分しか知り得ないし、それ以外はありません。
どうすればいいのかわからない、あるいは、どうすればいいのでしょうか、と。
いえ、その人は自分自身でどうしたいか知っていますし、どうすればいいかも知っています。
ただ、その答えに自信がないとか、あるいはだれかのお墨付きが欲しいとか、そういうことです。
答えは自分自身で知っています。
すべての事項においてそうですし、それ以外はあり得ません。
ですから、悩みを抱えているとか、相談したいことがあるという方は、自分自身に聞いてみたらいいと思います。
「自分の意見なんて大したことはない」という、自分自身を軽視する態度が、そこには見られます。
自分の意見は大したことないし、自信もないから、誰か名のある人の意見を聞きたいと。
しかし、どんなに名のある人の意見を聞こうとも、それを採用するかどうかを決めるのは自分だし、最後は結局自分自身で決めています。何事に限らず、全部そうですね。
ですから、はじめからもっとよく自分の意見を聞くのが結局は早いし、そこ以外に道はありません。
何か間違っているんじゃないかとか、本当にこれでいいのかという不安がつきまといますが、別に間違っていてもいいのです。というか、間違っているも合っているもありません。
ただ単に「そう」だということがあるだけで、それが正解だとか不正解だとかは誰にも決められないし、決める必要もありません。
ただ単に自分の選んだことをやればいいという、ただそれだけです。
私たちには、何か漠然と「こうありたい」という思いがあり、何となくそっちに向かって日々歩みを進めているわけですが、そうではない選択も、非常に多くしています。
周りの状況によって、意に沿わない選択をしている、ということです。
それは構わないことですし、仕方のない面もあることでしょう。
我々にできることは、意に沿った選択をできる場面で、ちゃんと意に沿った選択をする、ということです。
流されない、ということです。
そのために大事なのは、自分の「意」をちゃんと知っているかどうかです。
自分の意に無頓着であると、流されます。
自分の「意」というものは、それは昔から神とさえ呼ばれている、神聖なものであるし、核心的なものです。
その意というものは、一体どこからやってきて、なぜそんな風に思うのか、ほとんど謎な、神秘的な存在です。
自分の意というものを大切に扱い、それに沿った選択をすることが、最終的には求めている場所へと到達する道筋であると考えます。
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