本当の自分は自分が思っているような自分ではない

本当の自分は自分が思っているような自分ではない。

という可能性を考えたことはありますでしょうか。

自分は自分について、本当はよく知らないのではないか。

これは非常にあり得る話です。

 

何かのきっかけで、ファっと霧が晴れるように、「そう、それ!」って思う瞬間があります。

例えば何か、すごく波長の合う音楽を聴いたり、映画を観たり、何か小話を聞いたりして、鮮やかに目の前が晴れる瞬間があります。

何かめちゃくちゃいいと思えるものに出会った瞬間、何か素晴らしものを見聞きした瞬間。

「ああそれだよ」と、何か合点のいく感覚。

それはある意味、自分が自分を取り戻す瞬間と言えます。

 

それは、頭で考えた「自分自身はこういう人」といった思い込みや、人から見た自分はこういう人だろうなという想像を突き抜けて、まっすぐに自分に突き刺さります。

考えるまでもない、まっすぐな確信です。

 

逆に言うと、普段は「もや」の中で生きている、ということにもなります。

普段がもやだからこそ、そうした一条の光が間違えようのない光として認識されます。

 

つまり、そうした光を集めていく過程が、自分自身を取り戻す過程、と言えるでしょう。

もやを光で満たしていく。

「あ、こっちが本来の自分であった」と思えるような瞬間を集めていくこと。そうした瞬間に意識的になること。

意識的に自分自身を改善していく、ということの具体的な方法とはつまり、そういうことになるのではないでしょうか。

 

服を買うにしても、安いからとか人が勧めるからという理由ではなく、本当に自分の心がときめいてしまったものを購入する。

こんなことが人生を転換していく大きな力になると思います。

 

ときめき、うれしい、しあわせ。

それらは、磁力のようにそっちのほうに行きたくなる強力なパワーを持っているということは、誰でもお分かりになることでしょう。

にもかかわらず普段そのような感覚を得ていないとしたらそれは、それを上回るパワーでそれに抗っている状態である、ということになります。

それは疲れるはずです。

ですから、その抵抗のパワーが何であるかを突き止め、徐々にでもそれを解除していくことが、幸せへの道筋といえます。

 

私たちは意外と自分を知らないということが多々あります。

というか、自分に無頓着である、と言ったほうがいいかもしれません。

 

答えは自分自身にあります。パーフェクトな答えが。

自分自身が「そう」だというものが、そうなのです。それは間違えようもなく、そうなのです。

世の中の全員が「ちがう」といっても、自分自身が「そう」だといういならば、それは間違いなく「そう」なのです。自分自身にとっては。

その自分自身の「そう」をそうだと認めることができるか、問われているのはそこです。

それは自分自身を大事にするということであり、自分自身を尊重するということです。

 

自分自身に愛情をもって接することができれば、それは自分自身を生かすということになり、それがすなわち自分自身を生きるということになるのではないでしょうか。

 

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