捨てれば捨てるほどハッピー感は増し、「結果的に」上手くいくことになります。
このことは信じるのではなく、実際に自分で確かめてみてください。
本当にそうなのかどうか。先入観なく。
人は何もしがらみがない時、つらいほう、悲しいほうに自然と流れるでしょうか?
それとも、楽しいほう、嬉しいほうに流れるでしょうか?
楽しいほう、嬉しいほうに流れますね、言うまでもなく。
つまり、楽しさや嬉しさは、つかみ取らなくても、無になれば自然と流れ込むのです。
無になれば、自然とすべてがうまくいきます。
なぜなら、「そういうふうにできている」からです。
甘いキャンディと泥だんご、どちらを口に入れるかというと、それは言うまでもないことですね。
それもやはり、そういうふうにできているからです。
水が高いところから低いところに流れるのも、そういうふうにできているからであり、自然とハッピーなほうを選択するのも、そういうふうにできているからです。
余計なことを全部無くし、自然な状態になったら、勝手に幸せは流れ込みます。
余計なことをしなければ、勝手に幸せになっちゃうのです。
…
私たちは「そういうふうにできている」の中で、生きています。
何らかの枠組みがなければ、そもそも世界が成立しません。
世界を成り立たせるための決まり事、「そういうことにしましょう」みたいな約束事の中で、私たちは生きています。
その約束事とはつまり、水が高いところから低いところに流れる、というようなことであり、生命誕生の仕組みや気象のメカニズムであり、物理法則、人間心理の法則など、なぜだか知らないけど「そういうことになっている」というようなことです。
何もしなければ勝手にそうなるという枠組みの中で、私たちは生きています。
そして、人について言えばそれは、自然と幸せなほうへ流れる、ということです。
つまり、幸せじゃないとすればそれは、「何かしている」ということです。
何か不自然なことをしている、ということです。
そんな自覚はない? いや、あるはずです。
幸せを「つかみ取ろう」としていませんか?
何かを「得よう」としていませんか?
それがつまり、「何かをしている」ということです。
幸せじゃないとすれば、必ず何かをしているはずです。
自然の流れに逆らう何かがあるはずです。
…
そうすると、「どうやったらそれをやめられるのか」「どうやったら自然でいられるのか」と、普通はそういう発想になりますね。
しかし、その発想がすでに、「何かをしている」です。(笑)
何かを得ようとしていますし、何かであろうとしています。
そういう意味で考えると、思考癖を直すのはなかなか難しいといえるかもしれません。
しかし、「直すべき癖」など、本来ないのです。
なにしろ「何もない」ので。
なんにもないときに、そこにあるものが、それなので、癖も何もないのです。
…
まず、「どうしよう」をやめましょう。
どうもしないのです。
人はほとんど、「どうしよう」という発想で動いています。
生き方をどうしよう、キャリアをどうしよう、パートナーをどうしよう。
どうもこうもしません。
「どうしよう」じゃなくて、「どうしたい」です、どちらかと言えば。
最初のモチベーションが違います。
最初に発したエネルギーが、最後の結果を決定づけます。
最初に何を発するかです。
なんにもなければ。
しがらみなどなんにもなければ、「したい」で動くはずです、普通に。
それが本来です。
だから、「変える」とか「努力する」ではなく、「本来に戻る」という言い方が正しいでしょう。
「自然にそうなる」は、自分に当てはめるとどうなるのか、敢えてよく吟味してみる必要があります。
なにしろ不自然なほうが当たり前になっているので。
自分にとって何が自然か、よく吟味してみる必要があります。
そのために、やかましい喧噪を離れて、よく自分自身に向き合う時間が必要です。
人の目をまったく気にしないで、完全に自分ひとりとだけ向き合い、自分と対話するのです。
ほかのこと全ては消去します。
完全になくします。
しがらみは完全になくします、全部、頭の中で、きれいサッパリ。
「何かの対比としての自分」ではなく、完全に自分だけです。only one thingです。
そんな時間を持ったことがありますか? そもそも。
自分自身と向き合い、自分自身だけに集中する。完全に外の全ては消去する。
職場も恋人も家族も友人も故郷も趣味も悩みも夢も希望も憧れも、全部消去。
自分自身だけ、です。
ただ単にそれだけで、今までとは違った気分が味わえるでしょう。
いやむしろ、なつかしい気分かもしれません。
かつて自分が自分自身であった頃を思い出すからです。
たぶん、欲しいものとか何も思い浮かばないハズです。
というか、「何か」というものが、そもそも無い場所です。
自分以外が何もないので。
そして自分とは無です。
自分自身がこんなにも豊かなんて、思ってもみなかったと思います。
「何もない」がこんなにも豊かなんて、思ってもみなかったことでしょう。
この豊かさの中で生きたら、そりゃあ幸せになるわと、当たり前にそう思うことでしょう。
そこです。
つまり、自分です。
そこには全てがあります。
他は全て、とてもとても小さなことです。
捨ててみましょう。
捨てることによって、得てみましょう。真の豊かさを。
それはいつでも、自分の中にあります。
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