自然と幸せになるようにできている

捨てれば捨てるほどハッピー感は増し、「結果的に」上手くいくことになります。

このことは信じるのではなく、実際に自分で確かめてみてください。

本当にそうなのかどうか。先入観なく。

 

人は何もしがらみがない時、つらいほう、悲しいほうに自然と流れるでしょうか?

それとも、楽しいほう、嬉しいほうに流れるでしょうか?

 

楽しいほう、嬉しいほうに流れますね、言うまでもなく。

 

つまり、楽しさや嬉しさは、つかみ取らなくても、無になれば自然と流れ込むのです。

無になれば、自然とすべてがうまくいきます。

なぜなら、「そういうふうにできている」からです。

 

甘いキャンディと泥だんご、どちらを口に入れるかというと、それは言うまでもないことですね。

それもやはり、そういうふうにできているからです。

 

水が高いところから低いところに流れるのも、そういうふうにできているからであり、自然とハッピーなほうを選択するのも、そういうふうにできているからです。

 

余計なことを全部無くし、自然な状態になったら、勝手に幸せは流れ込みます。

余計なことをしなければ、勝手に幸せになっちゃうのです。

 

 

私たちは「そういうふうにできている」の中で、生きています。

何らかの枠組みがなければ、そもそも世界が成立しません。

世界を成り立たせるための決まり事、「そういうことにしましょう」みたいな約束事の中で、私たちは生きています。

 

その約束事とはつまり、水が高いところから低いところに流れる、というようなことであり、生命誕生の仕組みや気象のメカニズムであり、物理法則、人間心理の法則など、なぜだか知らないけど「そういうことになっている」というようなことです。

何もしなければ勝手にそうなるという枠組みの中で、私たちは生きています。

そして、人について言えばそれは、自然と幸せなほうへ流れる、ということです。

 

つまり、幸せじゃないとすればそれは、「何かしている」ということです。

何か不自然なことをしている、ということです。

 

そんな自覚はない? いや、あるはずです。

幸せを「つかみ取ろう」としていませんか?

何かを「得よう」としていませんか?

それがつまり、「何かをしている」ということです。

 

幸せじゃないとすれば、必ず何かをしているはずです。

自然の流れに逆らう何かがあるはずです。

 

 

そうすると、「どうやったらそれをやめられるのか」「どうやったら自然でいられるのか」と、普通はそういう発想になりますね。

しかし、その発想がすでに、「何かをしている」です。(笑)

何かを得ようとしていますし、何かであろうとしています。

 

そういう意味で考えると、思考癖を直すのはなかなか難しいといえるかもしれません。

 

しかし、「直すべき癖」など、本来ないのです。

なにしろ「何もない」ので。

なんにもないときに、そこにあるものが、それなので、癖も何もないのです。

 

 

まず、「どうしよう」をやめましょう。

どうもしないのです。

人はほとんど、「どうしよう」という発想で動いています。

生き方をどうしよう、キャリアをどうしよう、パートナーをどうしよう。

 

どうもこうもしません。

「どうしよう」じゃなくて、「どうしたい」です、どちらかと言えば。

 

最初のモチベーションが違います。

 

最初に発したエネルギーが、最後の結果を決定づけます。

最初に何を発するかです。

 

なんにもなければ。

しがらみなどなんにもなければ、「したい」で動くはずです、普通に。

それが本来です。

だから、「変える」とか「努力する」ではなく、「本来に戻る」という言い方が正しいでしょう。

「自然にそうなる」は、自分に当てはめるとどうなるのか、敢えてよく吟味してみる必要があります。

なにしろ不自然なほうが当たり前になっているので。

自分にとって何が自然か、よく吟味してみる必要があります。

 

そのために、やかましい喧噪を離れて、よく自分自身に向き合う時間が必要です。

人の目をまったく気にしないで、完全に自分ひとりとだけ向き合い、自分と対話するのです。

ほかのこと全ては消去します。

完全になくします。

しがらみは完全になくします、全部、頭の中で、きれいサッパリ。

「何かの対比としての自分」ではなく、完全に自分だけです。only one thingです。

そんな時間を持ったことがありますか? そもそも。

自分自身と向き合い、自分自身だけに集中する。完全に外の全ては消去する。

職場も恋人も家族も友人も故郷も趣味も悩みも夢も希望も憧れも、全部消去。

自分自身だけ、です。

 

ただ単にそれだけで、今までとは違った気分が味わえるでしょう。

いやむしろ、なつかしい気分かもしれません。

かつて自分が自分自身であった頃を思い出すからです。

たぶん、欲しいものとか何も思い浮かばないハズです。

というか、「何か」というものが、そもそも無い場所です。

自分以外が何もないので。

そして自分とは無です。

 

自分自身がこんなにも豊かなんて、思ってもみなかったと思います。

「何もない」がこんなにも豊かなんて、思ってもみなかったことでしょう。

この豊かさの中で生きたら、そりゃあ幸せになるわと、当たり前にそう思うことでしょう。

 

そこです。

つまり、自分です。

そこには全てがあります。

他は全て、とてもとても小さなことです。

捨ててみましょう。

捨てることによって、得てみましょう。真の豊かさを。

それはいつでも、自分の中にあります。

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