「何もしない」の本当の意味

人はうっかり、できないことをやろうとしてしまいます。

憧れの人がやっていることをマネしたくなったり、いいぞと言われたことをやってみたくなったり。

乗せられたり納得したりして、柄でもないことをうっかりやってしまいます。

 

「こうすればいいよ」や「こうすべき」を、うっかりトレースしてしまうのです。

しかし、ハッキリ言いましょう。

 

何もしなくていいです。

 

「何もしなくてどうやって生活していくんだ?」

「あれだけの大御所があれだけ言ってるのにか?」

 

様々なご意見があろうかと思いますが、そっちがいい人はそっちを採用してください。

この話にピンとくる方だけ、続きを聞いてください。

 

 

そもそもです。

そもそも本当にそれをやりたいと思いますか?

本当に、心の底からそれをやりたい!と思ってそれをやっていますか?

やりたいというよりも、「やるのがいいみたい」とか「やったほうがよさそう」で動いていませんか?

 

これは、自分でも気づかないことが多いです。

「やりたい!」と「やるのがいいみたい」の違いが。

 

「やるのがよさそうだから、やりたいと思うんですよ」と、おっしゃるかもしれませんが、それはノンノンです。

その二段階は、本当の「やりたい」ではありません。

唯一意味をなすのは二段階目、三段階目ではなく、一段階目の理由だけです。もっとも根本的なやつ。

 

「やるのがよさそうだから、やりたいと思う」は、「やるのがよさそう」が一段階目で、「やりたい」は二段階目です。

二段階目以降は、取って付けた理由です。

本当の理由は一段階目のみです。

 

何をやるかじゃなくて、動機が大事です。

やらされてやることは、価値を生みません。

 

あなたがやるべきことは、キレイでいることです。

湧き上がる動機を邪魔しないように、クリーンな自分でいることです。

 

行動は勝手に起こります。

大事なのは、それを邪魔しないことです。

つまり、無理に何かをやろうとしなくていいのです。

 

無理してやったことが生むのは「無理っぽさ」です。

スムーズにやったことが生むのは、「スムーズさ」です。

 

動機に着目してください。

どういう理由でそれをやっているかに。

 

そう考えると、「やったほうがいい」とか「やるべきだろう」というエネルギーは、何を生みますか?

「やらされ感」ですね。

別に欲しくないでしょう?そんなの。

あなたが欲しいのは結果じゃないのです。

状態です。

 

 

素晴らしい生活、きらびやかな生活、リア充。

「あたしもああなりたい」

と、なりますね。

 

この時あなたが本当に欲しいのは、目に見える豪邸やパーティではなく、その時に感じるであろう「気持ち」のほうです。

豪邸やパーティが引き金にはなっていますが、本当に欲しいのはそれら自体ではなく、そうである時の「状態」のほうです。

 

で、その「状態」は、豪邸やパーティとは実際関係ありません。

豪邸やパーティはあくまで「引き金」であって、それらと「状態」はイコールではないのです。

状態そのものを見るのではなく、その引き金のほうを見てしまっているのです。

月を見るのではなく、月を指差す「指」を見てしまっているのと同じです。

 

 

状態、すなわちエネルギーに着目して、この一連の動きを追ってみます。

 

まず、憧れますね。

「あたしもああなりたい」と。

 

憧れるのはとても結構ですね。

いいなあ、ワクワクするなあ、ああなったら最高だな。

うん、いいエネルギーですね。

 

で、そのためにはどうすればいいんだろう、と考えます。普通の流れです。

で、そのためにはこうすればよいという情報も、いっぱい溢れています。

そして、なるほどこうすればよいのか、と、実践を始めます。

 

ここです。

 

この段階。

「実践」の段階。

このときのエネルギーに着目してみてください。

 

それをやりたいからやるのではなく、それをやったらいい結果が得られるはずという期待でやっています。

つまり、やりたくてやっているわけではないのです。

要は「やらされている」わけです。

 

目の前にニンジンをぶらさげられて、それを得たいから走っているのです。

決して走りたいから走っているわけではありません。

ニンジンがなかったら、走りません。

「憧れの生活」という結果が手に入らないなら、やりません。

 

ここです。

 

その時のエネルギー状態はどうでしょうか。

それはもう「やらされ感」ですね。

まさに「やるのがよさそうだから、やりたいと思う」に、どハマリしています。

その時すでに、一段階目の動機は「やるのがよさそうだから」です。

 

ほとんど無意識です、この流れは。

だから、何もやらなくていいですよと言うのです。

変なエネルギーで何かをやるなら、何もやらないほうがマシですよ、ということです。

 

「やる」にフォーカスが移動することによって、動機が閑却されてしまうのです。

そのときのエネルギー状態に無頓着になってしまうのです。

 

いや、大事なのはそっちですから。

 

大事なのは行動じゃなくて、エネルギーのほうです。

「やること」にフォーカスするのではなくで、「状態」にフォーカスしてください。

そういう意味での、「何もやらなくていい」です。

 

そして、エネルギーを整えてあげると、そのエネルギーが勝手に行動を起こします。

我々はそれを邪魔しないようにすればいいのです。

だからいつもクリーンに、風通しよく、自由にエネルギーが通過できるようにしておきましょう、ということです。

 

「エネルギーが本当に行動をおこすのだろうか」などと不安にならなくてもいいのです。

そのとき発生しているのは、不安、恐れ、疑心暗鬼というエネルギーであることに着目してください。

「本当に行動をおこすのだろうか」という不安は、やはり結果への執着が生むものです。

結果への執着があるから、ぜひちゃんと行動を起こして欲しい、頼むよ!という心持ちが発生します。

そこにもやはり、気づいてください。

 

変なエネルギーで何かをするのではなく、エネルギーそのものを取り扱ってください。

あせって何かをするのではなく、その素となるエネルギーを培いましょう。

するとそのエネルギーが、勝手に行動を起こします。

あなたはただそれを見守ればいいのです。

種に内在するエネルギーは、水をやり、肥やしをやってれば、自然に花開くのです。

 

そう、花は作るものではありません。

それは咲くものです。

花が欲しいといって見よう見まねで作っても、それは本物ではありません。

本物の花は咲くしかないのです。

 

じゃあどうやって咲かせるか。

それはもう、水やりと肥やしですね。「お世話」です。

培うのです。はぐくむのです。

 

種を割って中身を出してみても、そこに花はありません。

早く結果をくれと種を割るのではなく、じっくりと培ってください、はぐくんでください。

あなたの中に内在する種、そのエネルギーを。

 

手塩にかけたそのエネルギーがどんな花を咲かせるのか、楽しみに見守ってください。

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