苦しみが「否定」から起こるとしたら、幸せは「肯定」から起こる、ということになりますね。
確かに、物事を「それでいい」と認めることができるなら、それは幸せな状態と言えるでしょう。
では、どうやってそのような状態を達成するか。
…
そもそも、物事は「そうなっている」ものです。
ものごとは「そうである」という肯定が、大前提です。
「そうでない」ものが存在するはずがありません。
否定されているならば、初めから存在していません。
存在しているということは、すでに「そうである」ということです。
世界は「肯定」で成り立っています。
それなのに我々は、ことあるごとに「そうでない」を発します。
あれはイヤだ、これはイヤだ、そうであっていいはずがない、こうあるべきだ。
つまり「否定」ですね。
世の中すべて、肯定で成り立っているのに、そこに否定を発して、うまくいくはずがありません。
齟齬をきたします。
それがつまり「苦しみ」です。
…
ではなぜ、否定が出てくるのか。
それはワガママですよね。(笑)
我を張っているということです。
自分を優先して、世界と同調していないということです。
しかし逆に考えると、否定が出てくるってすごくありませんか?
肯定で出来ている世界に否定が出てくるって、すごくありませんか?
つまりその否定すら、肯定されているということです。(笑)
その否定は、問題ないと「認められている」のです。
世界は自分に同調しないものすら、許しています。
…
それを知りましょう。
存在する全ては、存在しているという時点ですでに許されているということを、知りましょう。
つまり、あなたは今のままでOKなのです。
何の問題もないのです。
あなたが今、そこにそうして存在していること自体、世界からのお墨付きです。(笑)
その世界のお墨付き。
つまり、あなたは逃れられない肯定の中に生きているのを知ること。
それこそが「幸せ」です。
肯定が幸せであるなら、あなたは今、すでに幸せの中にいます。
というか、今までその中にいなかったことなどありませんし、そこから逃れることもできません。
なにしろ、生きていること、存在していること自体がすでに幸せなので。(笑)
…
幸せは達成するようなものではありませんでした。
あなたはすでに幸せの中にいます。
必要なのは、ただそれを「知る」ことだけです。
今までも、これからも、あなたはずっと幸せです。
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