我々は迷子になっているようなところがあります、人生において。
どっちに行ったらいいのか、何をしたらいいのかわからない。
もやの中で呆然と立ちすくんでいる、あるいはやみくもにテキトーな方向に進んでいる。
何かそんな印象も、ありますね。
それは、どこかへ向かわなければならない、何かに到達しなければならないという思い込みがあるからですが、事実としては、そんなものはありません。
人生には目的地もないし、到達しなければいけない場所も、ありません。
キチンとした生活を確立しなきゃいけないとか、何かを成し遂げなければならないといった目的は、勝手に想像しているだけで、そんな事実は、ありません。
つまり、何もしなくていいのです、何もしたくなかったら。
ニートはいかんとか無職はいかんとか思いがちですが、そんな事実はありません。
いかんことなど、何もありません。
そんなことは事実を見れば誰にでもわかるし、頭ではわかっていることだと思います。
つまり、「頭でわかること」は、それだけ無力ということですね。
どれだけ頭でわかっていたとしても、頭でわかっていることは、大した力を持たないということです。
じゃあ、力を持つのは何かというと、それは宇宙の運行ということですね。(笑)
宇宙がそのように運行している。
我々の呼吸一つから、星の回転まで。
宇宙がそのように動いているという動きの中に、我々もいます。
それは誰の責任でもないし、誰の努力でもありません。
「勝手に」運行しています。
そうではないですか?
自分の中に、何かモヤモヤしたスッキリしない思いがある。
あるいは、何か満たされない思いがある。
それって誰の責任ですか?
誰の責任でもないですね。
それは宇宙の運行の一環ですね。
自分が無職なのは誰のせい?
彼にフラれたのは誰のせい?
誰のせいでもないですね。
それも宇宙の運行の一環ですね。
世界は全て、「ただそうである」。
そうではないですか?
それだけが誰にも否定できない事実ではないですか。
それってある意味「お手上げ」ですよね。
どうしようもないと。
自分は本当はこうしたいけど、それはできたりできなかったり。
そしてそれは全部「起こっていること」であり、誰にも責任はないと。
努力が足りないわけでも、運が足りないわけでもなく、ただ単にそういう運行であったと。
どうしようもないとき、どうします?
手も足もでないとき、どうします?
とはいえ、何かをしますね。
どうしようもないと頭でわかっていても、何とかしようとしますし、手も足も出ないとわかっていても、手も足も出します。
つまり頭でわかっていても、意味がないのです。
頭でわかっていようがいまいが、それは結局「起こる」のです。
いろんな勉強をして、いろんな知識を身につけたかもしれませんが、結局のところどうでしょう。
それって意味があったでしょうか。
意味はありませんね。
人生に意味がないのと同じように、宇宙の運行に意味がないのと同じように。
頭でどれだけわかっていようがいまいが、物事は起こります。
必然として、そのように起こります。
起こったことに対する感想もまた、必然として、そのように起こります。
何もしていなくても、何かをしています。
何かは起こり続けています。
延々と。
それをただ観察し続けてみましょう。
何かをしようと努力するのではなく。
観察しているとき、自分はどこにもいないのです。
どこにもいないのです。
物事はただ起こり続けています。
そして私は、どこにもいません。
コメント
いつも記事何度も読んでおります。ありがとうございます。
この記事を読んで、ここで起きるべきことが起きました。
宇宙の運行が行われました。
ご縁に感謝致します。