捨てることと解放

私たちは、学んでばかりだ。

何をどうすればいいのか、人の話を聞き、ネットを漁り、本を読み、セミナーに参加し、学んでばかりいる。

 

なんで学ぶのかというと、足りないと思うから。

自分はまだまだ足りないから、日々学んで、自分を高めていこう。

もっといい自分になろう。

 

学ぶことは、一見いいことに見える。

自分を高めることは素晴らしいことだと。

 

でもそれは、思い込み。

自分は高まりも低まりもしない。

それが大きな視点で見た場合の真実。

 

人はすでに、それでいい。

そこに付け加える何物もないし、差し引くべき何物もない。

頑張ったからといって何も変わらないし、頑張らなかったからといって何も変わらない。

つまり、頑張った結果と、頑張らなかった結果は、同列。

 

 

頑張っている人は疲れる。

あーでもないこーでもない。

この場合はそうで、あの場合はこうで。

真面目に熱心に学んでいる人は、正直疲れる。

 

なんでそんなに熱心なのかというと、不安だから。

それは「足りない」という不安が原動力。

不安に駆られて右往左往するさま。

それがいわゆる「頑張っている」ということ。

 

不安じゃない人は頑張らない。

頑張るべき何物もない。

不安がなければ、別にどっちでもいい。

 

別にどっちでもいいとき、何を選ぶか。

それは、感覚の赴くまま。

すでに、勝手に、選んでいる。

頑張るべき何物もないとき、

すでに、勝手に、選んでいる。

 

不安がなければ頑張らない。

不安がなければ、別にどっちでもいい。

頑張るのは美徳のように思われているけど、落ち着いて何もしない人のほうがむしろすごくないですか?

 

 

じゃあ「頑張るな」とは言えるだろうか。

「頑張らないでください」なんて言えるだろうか。

頑張るのをやめるのを頑張るってのも、なんか滑稽。(笑)

 

「頑張る」はいつまでもついて回る亡霊みたいなもの。

追い払おうったって、簡単にはいかない。

何をしても、ついうっかり頑張ってしまう。

哀しいくらいに、頑張ってしまう。

 

 

「やめる」ということの、魅力と味。

「もうやめよう」と言った時の、フワッと視界が開けるような解放感。

本当に欲しかったのはこれじゃないでしょうか?

すなわち解放。

 

やめた時、世界は溶けて流れる。

頑張って支えてきた支えが崩れ、世界は崩壊する。

ドロリと溶けて、流れ去る。

 

世界は消える、キレイさっぱり。

気持ちがいいくらいに。

そして、そんなもんいらんかったとわかる。

頑張って支えていたのは、いらんもんだった。

 

解放、楽園。

 

いらんもんを捨てて解放される。

捨てたら、なくなる。

なくなることが、喜びだった。

得ることじゃなかった、捨てることだった。

「無」が喜びだった。

 

「もういらない」と、言ってしまったらどうだろうか。

あなたの本心は、何を求めているだろうか。

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