「何でもない」を知る

前回のエントリーはお読みいただけましたでしょうか。

「何でもない」とは何か
人生とはつまり、「何か」ですね。 どこに住み、何を着て、どんな仕事をし、どんな人間関係があり、どんな出来事がありと、「何かであること」の集積がつまり、人生です。 生まれてから死ぬまでの間の、「何か」で埋め尽くされている期間。 それが人生です...

そういうことです、つまり。

「何でもない」のです、実際。

 

何かものすごく深刻なことや、ものすごく心に響くあれやこれやが、みなさんの人生にもあることでしょう。

それらも全部、ジャンルでいうと「何でもない」です。

全てのものは「何でもない」というジャンルに入ります。

全ては何でもないにおいて、優劣がないのです。

その「何でもない」の下に、さらに枝分かれして細分化したジャンルが延々と続くでしょうが、それらの大元、一番の親は、「何でもない」です。

 

「何でもない」ってどういうこと?

それは文字通り、何でもないです。

あれやこれやそれといった「何か」ではない、ということです。

「何」でもないのです。

 

それが何を意味するのか。

つまり、それは、みなさんが思っているようなものではない、ということです。

みなさんは、AのことをBと思ったりCと思ったりするかもしれませんが、それは細分化したジャンルの話であり、元々の大元、根本は「何でもない」です。

BでもCでもなければ、Aでもありません。

 

すべて解決しませんか?これで。(笑)

 

それはどういうことだろう、AやBやCというルートを通ってDに到達することだろうか?

と、思考を使うとそんな解決方法を模索するかもしれませんが、いや、AもBもCもありませんよとなったら、それですべてが解決しませんか?

というか、問題もないし、解決もない。

「何でもない」です。

 

「いやいや、ここにほら、コップがあるじゃないですか」と、普通にそう言いたくもなりますね。

ないって言ったって、現にあれもこれもそれも、あるじゃないですかと。

それはないんです。(笑)

「ある」というのは、細分化したジャンルの下の方の話で、トップの「何でもない」において、すべてはなくなるのです。

どの位置で話しているかの違いです。

ジャンルのトップで話しているのか、細分化した下の方の話なのか。

 

その、細分化したジャンルの、下に向かうのではなく、上へ向かうということです。

物事を細分化し、微に入り細を穿って事態を把握するのではなく、「それって結局なんなの?」と大きく大きく、上に上に向かうことです。

 

彼の気持ちの隅々までも探るのではなく、そもそも彼って何?ということ。

何にいくら使うのか事細かく分析するのではなく、そもそもお金って何?ということ。

いつまでに何々をしてと、細かく人生設計するのではなく、そもそも人生って何?ということ。

 

「何でもない」まで行ったら、もう終わりじゃないですか。

もうそれ以上先がないじゃないですか。

何しろ「何でもない」ので。

その行ける限界まで行ってしまおうという話です。

 

 

何でもないんですよ、それもこれもあれも。

何かすごいことかと思っていたかもしれませんが、何でもないんです、実は。

全部です、全部。

全部何でもないのです。

 

全部は「何でもない」に含まれています、例外なく。

それをぜひ、見に行ってください。

ジャンルの下へと下るのではなく、上へ上ることによって。

 

すこし、静かに落ち着ける時間を取ったほうがいいかもしれませんね、細分化にまみれているなら。

騒がしくない場所で、ゆっくり、落ち着いて、探ってみるといいと思います。

 

人は「どこかのポジションがいい」と夢を持つと思いますが、「どこでもないがいい」こそが、究極の夢ではないでしょうか。(笑)

コメント

  1. 白鳥 より:

    いつも楽しみに拝読させていただいています。
    「何でもない」を文章でここまで簡潔に表現されるとは。
    目が覚めるような思いがします

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