気持ちいいだけの人生は可能か

「気持ち」というのは、目の前のコーヒーカップや聞こえてくる小鳥のさえずりと同じように、意識に現れる「現れ」の1つです。

「する」から「なる」へ

ありのままの事実

 

ある人が「そういう気持ちである」というのは、その人の意識に現れるその気持ちに知覚を集中している状態、と言えます。

 

それは例えば、街中のいろんなものが目に入る景色の中で、特にアイドルのポスターに目を奪われるようなものです。

アイドルのポスターに集中しているとき、他のいろいろなものは目に入っていながら、見えてはいません。

 

「楽しんでいる人」は、その人の意識に現れるいろいろな現れの中から、特に「楽しい気持ち」に知覚を集中しています。

「不安な人」は、その人の意識に現れるいろいろな現れの中から、特に「不安な気持ち」に知覚を集中しています。

 

人の意識の中には、目に見えるもの、耳に聞こえるもの、頭の中の思考・妄想など、いろいろな「現れ」が現れますが、たいていの場合、人はその中の何かに集中しています。

そしてその「何か」は、「気持ち」であることが多いです。

なぜなら、気持ちこそが「自分」という感覚があるからです。

 

「嬉しい」「悲しい」「楽しい」「悔しい」

「その気持ち=自分」という感覚があります。

そして、ネガティブな気持ちをなるべく無くし、ポジティブな気持ちをなるべく増やそうと試みます。

そうすることによって、より良い人生を作ろうというわけです。

 

より良い人生を作る。

これが、普通の人生において目指されていることですね。

そして、「より良い人生=いい気持ちで満たされている状態」というわけです。

 

 

まあしかしそれは、うまくいったりいかなかったりです。

ポジティブはネガティブの存在の上に成り立つ概念であり、逆もまたしかりです。

ポジティブはネガティブがあるからこそ、ポジティブたり得ます。

トーナメントの優勝者は、敗者がいるからこそ成立します。

敗者がいなければ勝者もなく、全てはフラットであり、ポジティブもネガティブもありません。

 

前回も書きましたが、旨いものをたらふく食っても、それが糖尿病のきっかけにもなり得ます。

素敵な恋人をゲットしても、失う恐怖におびえたりします。

ポジティブとネガティブは表裏一体です。コインの表と裏です。

ポジティブのコインを手に入れるということは、同時にネガティブのコインも手に入れるということです。(逆もまたしかり)

ポジティブだけを集めることは不可能です。

あなたが集めたそのポジティブのコインの裏をよく見ると、しっかりネガティブが刻まれています。

 

 

つまり我々は、うまくいきっこないことに、日々取り組んでいるのです。

勝ち目のないレースを続けているのです。

 

このことを知った今、レースを続けるか、それともやめるか。

 

 

しかし、やめることに意味はあるのでしょうか。

なるほど人生は勝ち目のないレースかもしれない。

でも、それをやめるとどうなるのでしょう?

 

 

まず、「やめる」とはどういうことでしょうか。

それは、「求めるのをやめる」ということです。

ポジティブな気持ちをなるべく増やそうとしたり、より良い人生になるよう頑張るのをやめる、ということです。

 

それにはどんな意味があるのでしょうか。

 

求めるのをやめれば、人生は平静を取り戻します。

ポジティブでもネガティブでもなくなり、フラットになります。

あらゆる出来事は、すごいことでもマズいことでもなく、「ただのそれ」という本来の位置に戻ります。

 

これは、楽しみがなくなるわけでも、痛みがなくなるわけでもありません。

楽しみはただの楽しみであり、痛みはただの痛みです。

つまり、今までの人生と何も変わらないのです。(笑)

 

内容物は何も変わりません。

あなたの人生に起こる出来事は何も変わりません。

 

ただし、あなたのポジションが180°逆転します。

 

今までは、あなたが走っていました。レースをしていました。

出来事に向かってひたすら、走っていました。

 

今度は、出来事があなたの方にやってきます。

あなたは動いていません。

出来事があなたに向かってやってくるのです。

 

逆転です。

世界がひっくり返るとはこういうことです。(笑)

 

前者のあなたは疲れます。ひたすら走っていますから。

後者のあなたはくつろいでいます。止まっていますから。

 

求めるというのは、走ること、走り続けることです。

求めないというのは、止まること、くつろぐことです。

 

あなたの人生に起こる内容物は、どちらの場合でも同じです。

どれだけポジティブを集めても、その裏には同じ数だけのネガティブが潜んでいます。

出来事は何だっていいのです。

何が起ころうと、どれを選ぼうと、結局一緒です。

 

内容が同じだとしたら、走り続けるのとくつろぐの、どっちを選びますか?

内容が同じ福袋を手に入れるのに、人ごみの中をもみくちゃになりながら奪い合うのと、家でくつろぎながら配達してもらうの、どっちがいいですか?

 

人生はあなたがクリエイトするんじゃないんです。

それはただ起こってるんです。

クリエイトしてるという感覚、出来事を起こしているという感覚が「起こっている」だけです。

あなたの自身の経験を、よく調べてみてください。

「する」から「なる」へ

生の実態

 

福袋は人ごみの中奪い取らなくても、勝手に配達されます。

出来事はどのみち起こるんです。

あなたはただ受け取ればいいのです。

 

あなたがさんざん選り好みしてつかんだ福袋も、中身はいるものといらないものの混在です。

どの福袋を選んでも一緒です。

全てはポジとネガ一体です。

 

あなたはそんなに頑張らなくていいのです。

配達される福袋を、ポジネガそのままに、ただ受け取ればいいのです。

 

「いや、自分で吟味して最高の福袋をゲットしたい」

まあ普通はそう思いますね。

つまりは「選り好み」です。

中身は一緒なのにも関わらす、選り好みによって、憤慨したり喜んだり。

つまりは独り相撲です。

 

選り好みとはつまり、より良いものを求める心境です。

それをやめれば、人生は平静を取り戻します。

独り相撲をやめるということです。

それは「もともとそうだったことに戻る」ということです。

 

勝手な期待や勝手な憤慨をやめれば、人生はただのそれに戻ります。

でも、ただのそれにも何も期待しないでください。(笑)

ただのそれはあくまでただのそれですから、あなたの期待に応えるようなものは何もありません。

期待「外」のものなら、あるかもしれませんが。(笑)

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