事実を見ると、ただそれがそれとしてあるだけです。
その「ただのそれ」を、我々は妄想でいろいろに解釈してしまうわけですが、逆にそっちのほうがすごくないですか?
なんでもない「それ」を、ものすごく重要なもの、すごいもの、感動的なもの、悲観的なもの、ありとあらゆるものに変換してしまうわけですが、そっちのほうが実に驚くべきことです。
そしてその変換は、ほとんど自動的に起こっています。
何の努力もしていません。
ほとんど反射的です。
これは生きていく中で培った能力でしょう。
そこから逃れることは、ほとんど不可能なように思えます。
それくらいこの能力は、我々に深く根付いています。
しかし、前回、前々回と見てきたように、単純に事実を見れば、いつでもそこから抜け出せます。
…
いま、現にある、事実。
単純にそれを見れば、いつだってそれは、ただのそれです。
そこには「不安」なるものもあるでしょうし、「恐れ」なるものもあるでしょう。
「空しさ」もあるかもしれませんし、「やるせなさ」もあるかもしれません。
もちろん実際それは、そう単純に言語化できるものではありませんね。
だから、ただの「それ」です。
「それ」には、何の差もありません。
頭の中にある思い、目の前に見える景色、物、聞こえる音、におい。
それらの間には、何の差もありません。
名状しがたい、ただのそれ、それ、それ。
ただ、それがそれとしてある。
ひたすら、ただ、それがそれとしてあるだけ、永遠に。
思いもある、ペットボトルもある、椅子もある、仕草もある、記憶もある、感情もある。
それらの間には、何の境界線もありません。
「それ」が、ただあるだけです。
そして「それ」に気づいている「気づき」があるだけです。
それに気づいているから、それがあるという感覚があります。
では気づきと、気づきの対象である「それ」は別物でしょうか。
気づきと「それ」は一体ですね。
気づきがなければ「それ」はありません。
「それ」は気づきそのものです。
あるいは気づきを「それ」と呼んでいます。
「それ=気づき」以外に一体何があるでしょう。
いま現にあるもので、「それ=気づき」以外に、一体何があるでしょう。
「それ=気づき」しかありません。
ただ「それ=気づき」が、ひたすらぐるぐると展開している。
それが事実ですね。
事実として見えるのは、本当にそれだけです。
「それ=気づき」は、いろいろな現れ方をします。
青かったり赤かったり、嬉しかったり悲しかったり、暑かったり寒かったり。
でも、ただ「それ」であることには変わりありません。
「それ」が、ただぐるぐると展開しているだけです。
事実を見たら、そうではないでしょうか。
ただ展開している。
ただ展開している。
星は回り、季節は廻り、生き物は生まれ、死んでいく。
ただそれだけ。
ただそれだけです。
…
さて改めて、あなたは何をしますか?
してもいいし、しなくてもいいですね。
不安でもいいし、楽観でもいいですね。
ただの展開です。
あなたはいません。
あなたがあなたと思っているものは、ただ単に「それ」の展開でしかありません。
あなたも「それ」自身です。
あなたも「それ」から分離しているわけではありません。
何者も「それ」から分離していません。
「それ」しかないんですから。
あなたは何もしていません。
ただ「展開」しているだけです。
「している」という気持ちも展開していますし、「頑張っている」という気持ちも展開しています。
「それじゃだめだ」という気持ちも展開していますし、「それでいい」という気持ちも展開しています。
どこまでいっても、展開、展開、展開です。
ただひたすら展開です。
これから逃れることはできません。
この事実。
この事実をただ単に、ご自身でご覧になってみてはいかがでしょうか。
誰かの教えを採用するのではなく、ご自分の目で見てみてはいかがでしょうか。
あなたの全ては、展開です。
星の運行や季節の移り変わりと同じ、展開です。
そこに個別な「自分」なるものは、ありません。
ただ「全体の展開」があるだけです。
本当にもう、ただそれだけ。
あまりにもシンプルすぎて、あまりにも当たり前すぎて、逆に見過ごしていることです。
…
では、それを見たら何が変わるのでしょうか。
何も変わりません。
見たら至福が訪れるわけでもなく、苦しみのない人生に移行するわけでもありません。(もちろんそうなったらただそういう展開だということです)
相変わらず坦々と展開するだけです。
見る、見ないに関係なく、いつでもそれは、坦々と展開しています。
ただ、今まで苦しみと思っていたこと、嫌だと思っていたことは、ただの「それ」だとわかります。
もちろん、喜びも至福も、ただの「それ」です。
不必要に現象に巻き込まれなくなります。
何が起こっても、「ああ、ただのそれだな」とわかります。
現象に翻弄されなくなります。
何でもいいし、どうでもよくなります。
全てはただの「それ」ですから。
現象はもう、何でもいいしどうでもいいのです。
ただ展開しているだけですから。
「何でなきゃいけない」とか「何であるべき」は、もうありません。
そんなこと本当に意味がありません。
だって「ただ起こっているだけ」ですから。
もちろん、喜びだけがいい、楽しさだけがいい、という思いが浮かんできても、それもただの「それ」です。
どこまでいってもただの「それ」です。
何が起こっても、どんな思いが浮かんでも、全てはただの展開です。
…
ワクワクしませんか?
何が起こるかわからない、何でも起こる、何が起こってもOK。
それってワクワクしませんか?
引き寄せの法則なんかで、「常にワクワクしていなさい」なんて言われますが、 自らの意志でワクワクするのって難しいと思います。
ワクワクはしようと思ってできるものではなく、自然と「なる」ものですから。
ワクワクも展開のひとつです。
起きるなら起きるし、起きないなら起きません。
もちろん、あなたにワクワクが起きるかどうかはわかりません。
それはどっちでもいいのです。
どっちでもいいし、何だっていいのです。
それがすなわち、ワクワクです。(笑)
コメント