苦しみは別に嫌なことではない

「苦しみ」なるものがありますよね、皆さんにも。

苦しみをただ苦しむだけでなく、それは一体何なのか、実体を探ってみましょう。

 

…と、実体を探ろうとした瞬間に、もう実体は「無い」ということがわかります。

その苦しみなるものを捕まえようとした瞬間に、どこにも捕まえるものがない、とわかります。

 

つまり苦しみなんて無い、ということです。

現に、どこにもありません。

デッチ上げですね。

それが事実です。

 

では我々は、そんな事実を見ずに、一体何を見ているのでしょう。

「妄想」ですね。

妄想を見て、ワーとかキャーとか言っています。

 

我々は、なぜこうも妄想の方に目がいってしまうのでしょうか。

それはわかりません。

わかったと思ったそれは、それは1つの解釈です。

別にわからなくてもいいです。

でもそこから、解放はされたいですよね?

 

どうやって解放されるか。

それもわかりません。

わかったと思ったそれは、1つの解釈です。

その手段で必ず解放されるとは限りません。

 

要は、何をしてもどうなるかはわかりません。

何もできません。

してもいいし、しなくてもいいです。

 

ただひとつできること。

それは、その状況を眺めることです。

妄想を見ているという状況、事実がどうなっているかという状況。

何がどうなっているかという状況を「見る」ことはできます。

 

それは別に、嬉しいことでもないし、楽しいことでもありません。

だからあまりやろうという気は起きません。

だからいつまで経っても妄想に巻き込まれています。

 

苦しみは妄想ではありますが、嬉しいも楽しいも妄想です。

苦しいという妄想から逃れるために、嬉しいとか楽しいという妄想を見ようと願います。

何にしても妄想です。

 

妄想から抜け出してみてはどうでしょう。

妄想を見ているという状況を見る、ということです。

ただ事実を調べてみましょう。

実際に、あなたの目で。

 

それは経験ではありません。

嬉しい経験や苦しい経験という「経験」ではありません。

嬉しくもないし、苦しくもありません。

 

それは「気づき」です。

それがそうであると、ただ気づくということです。

 

嬉しい経験や苦しい経験という経験は、相変わらず続くでしょう。

でも、それに気づいてみてください。

それが、そうであるということに、ただ気づいてみてください。

 

それは、ただの、それです。

「それ=それ」です。

「それ=あれ」でもないし、「それ=これ」でもありません。

 

その事実に、ただ単に気づいてみてください。

なぜなら、妄想ではない事実には、いつでも何の問題も無いからです。

事実はいつでも、クリアで明確で、何の瑕疵もありません。

あなたが真に求めているものは、きっとそれです。

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