あなたを救うのは「何か」ではありません。
何かが起こって、人生が変わった。
何かを得ることによって、幸せになれた。
何かが私を変えてくれた。
人は人生に「何か」を期待します。
いつも「何か」を探しているといっても過言でもありません。
何かないか、何か私の人生を変えてくれるものはないか、何か面白いものはないか、何か美味しいものはないか、誰か素敵な人はいないか。
何かないか。
しかし、あなたの人生を根本的に変えるのは、「何か」ではなく、「何でもない」です。
で、こう言うと、「何でもない」という「何か」を探してしまう、というパラドックスにお気づきでしょうか?(笑)
何でもないという何かを探してしまう。
これだと、何でもないはすでに「何か」なので、もう根本的にスタートが間違っています。
このことに気づかないまま、「何でもない」を探してみても、何も見つかりません。
なぜなら「何でもない」は「何か」ではないからです。
そして、「何でもない」が、「何か」でなはいとわかったなら、その時点でもう旅は終わりです。
何でもないが、何かではないとわかった時点ですでに、「何でもない」が何であるかを把握したことになるからです。
どうでしょう? 言っていることがわかりますでしょうか。
「何でもない」が「何か」だと思ってる間は、永遠に見つけることはできません。
「何でもない」がわからないという人は、何でもないが「何か」だと思っている、ということで間違いありません。
何でもないは何でもないのです。 文字通り、字義通り。
初めからそう言ってるし、それしか言ってません。
これほど単純なことを見誤る理由は、「素直じゃない」という一言に尽きます。
ひねくれた物の見方をしているのです。
心当たりありませんか?
褒められても素直に喜べないとか、人の言葉の裏を読んでしまったりとか、勝手に被害妄想を抱いてしまったりとか。
妄想にくらまされている。
これは現代人の抱える慢性病です。
誰も責めてないのに責められてるような気になったり、自分だけが損してるような気になったり、何も間違ってないのに何かが間違ってると思ったり。
素直になる、ということです。
そのままです、そのまま。
全ては「そのまま」です。
あるものが、ある通りにあるだけで、それ以上でも以下でもありません。
何かをそれ以上に見てしまったり、それ以下に見てしまったりすることなく、「そのまま」見ることができれば、そのときそれは、見えているはずです。
それが見えているということは、自分がその状態になっている、ということです。
それこそが、つまりそれです。
コメント
そのままを見るというと表面だけを見るって感じで、本質とかもっと奥を見なきゃいけないと思ってしまう。でも、そうやって、あれこれ考えてる時点ですでにそのままではない。あー、わからん。
たしかに現代人は、人からどう思われるかを気にしすぎて余計なエネルギーを消費している。今、生きてること、誰からもすごいとか、いいとか思われないことでも、例えば風が気持ちいとか、ごはんが美味しいとかをもっと素直に喜んで、幸せだなと、他になんもいらんと思っちゃっていいんでしょうかね?
思っちゃってもいいし、思っちゃわなくてもいいです。
あなたはいろんなことを人に決めてもらいたがっていますが、あなた自身はどうしたいのですか?
なぜあなたご自身の意見を大事にしないのでしょう?
そのように自らを貶めることによって、自ら低い位置に甘んじています。自ら人の下に潜り込んでいるのです。
それで納得するはずがありませんね、あなた自身が。
あなた自身が、私はそんな自分ではないと言っています。
その文体から横溢するもどかしさは、本来のあなたが表に出たいと言っている声です。
くぅーっ。なんか核心をつかれましたね。
他人に決めてもらって納得できるわけないのに、自分で決めることを避けてる。うまくいかないことを必要以上に恐れてる。
本音の自分でいきたいです。