真実を見る方法

振り向けばヤツがいるんです。

真実が。

真実は、振り向いたらそこにいるんです。

 

本当に。

びっくりします。

「うわっ!いた!」って。

 

ただし、振り向かなければ、見えません。

そこにいるんですが、振り向かなければ、見えません。

 

振り向けばいるんです。

振り向けば、ヤツはいるんです。

 

 

しくしくめそめそ泣いていますね。

地団駄踏んで悔しがっていますね。

びくびくヒヤヒヤ怯えていますね。

 

その場で。

その同じ場で。

どこにも行きません、その同じ場で。

180°くるっと振り向くだけで、ヤツはいるのです。

 

「ひぇ!」

びっくりしますよね。そりゃあびっくりします。

「なんだ、いたのかよ」って。

 

それが真実です。

 

振り向けばヤツがいる。

本当にいるんです。

今までいなかったことなど、ないのです。

今まで一度も振り向いたことがなかったから、見えてなかっただけです。

 

見えてなくても、いるのです。

だって振り向いたらいるんですから。

 

ただ振り向くだけ。

それって努力でも根性でもない。

労力ですらない。

時間もかからない。

 

「くるっ」

ただそれだけ。

 

 

「どこ?どこ?どこにいるの????」と人は言う。

前を向いたまま。

今までと同じ方向を向いたままで、いない、見えないと言っている。

 

今までいなかったところを見ていてもしょうがない。

今までと同じ物の見方をしたまま、座禅だ瞑想だセミナーだワークショップだやってみてもしょうがない。

まるっきりそういうことじゃないのです。

それは「何かをした結果手に入るもの」ではないのですから。

 

切符が欲しかったら、販売機にお金を入れてボタンを押しますね。

カチャン、ポチ、コト、と。

「お金を入れてボタンを押した」→「切符が手に入った」と。

 

でも真実は、お金を入れたら出てくるようなものではないのです。

それは手に入れるものではないのですから。

 

 

例えば「自然」ってありますよね。

自然って、手に入るものですか?

 

木や森を手に入れるのではないですよ。

鳥や動物を手に入れるのではないですよ。

海や山を手に入れるのではないですよ。

 

「自然」です。

 

自然、天然、ヒューマンネイチャー。

それって手に入るものですか?

 

手に入れるものではありませんね。

敢えていうなら「そうであるもの」です。

 

そうであるもの、そうであるもの。

そうであるもの。

 

あなたもわたしも、そうであるものですね。

海も山も、そうであるものですね。

星や地球も、そうであるものですね。

全部、そうであるものですね。

 

 

そうであることがつまり、真実です。

そうでないものなど、ないですね。

全てが真実ですね。

真実に満ち溢れていますね。

 

何かをするわけではありませんね。

すでに、そうですね。

全てがすでに、そうですね。

何かをしようとしまいと、全てがすでに、そうですね。

 

あなたの努力、あなたの嘆き、悲しみ、喜び、慈しみ。

全てがすでに、そうですね。

すべて自然に、そうですね。

頑張る必要は、何もありませんね。

 

「なんだすでに、そうであったか」

ホッとしましたね。

やることは何もありませんね。

頑張ることは何もありませんね。

 

何も変わりませんね、そのままですね。

今いる場所から、どこかに移行したわけではありませんね。

何一つ変わらず、そのままですね。

 

ただ、それでいいということがわかりましたね。

変える必要はないということがわかりましたね。

変えてもいいし、変えなくてもいいということがわかりましたね。

変えても変えなくても、結局一緒ですね。

 

どっちも同じですね。

どっちもそれでいいですね。

 

なんにも知る必要はありませんね。

知ろうが知るまいが、どっちでもいいですね。

 

自由ですね。

自由の海に、浸かっていますね。

自然ですね、あなたは。

ヒューマンネイチャーですね。

 

あなたの中の自然は、生き生きと活動します。自由の中で。伸び伸びと。制限なく。

楽しいですね、嬉しいですね。

自由ですね。

 

自然っていいですね。楽しいですね。

自分も自然、全ても自然。

 

しばらく眺めていたいですね。ダンスを、ステップを。

自然が、自由の中を、華麗に、しなやかに、舞う様を。

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