自分の中に、誰にも侵されない聖域がある。
言葉のあやとか妄想ではなく、事実、リアルの意味で。
むしろそれだけが本当のリアル。
そこを向けば、いつでもそれはあります。
いつでも、どこでも、何をしてても、そこにある。
それと共にないことなど、ありません。
キリストは磔にされたそうですが、そんなことが可能だったのも、誰にも侵されない聖域を知っていたからです。
殺されても死なないものがあることを、知っていたからです。
そうじゃなければ、誰がそんなこと可能でしょうか。
何を言われても、何をされても、絶対に変わることも屈することもないその場所。
永遠の安住の地。
そこが本来の場所です。
本来人が生きている場所です。
人はそこに居ないことなどありませんが、そこに居ることを忘れることはあります。
ここがそこだということが、わからなくなるのです。
というか、自分がどこにいるかに興味がなくなるのです。
それよりも、自分が何を成し遂げたか、何をもっているか、どう思われているかに、興味が移ります。
「自分」なるものを作り始めるのです。
素晴らしい自分を作ることに、興味が湧きます。
どんなキャリア、どんな人間関係、どんな家庭、どんな実績。
がんばってがんばって、理想の自分なるものを、一生懸命作り始めます。
一生懸命立派な自分を作って認めてもらうこと、そして自分でも満足することを目指して、邁進します。
うまくいかないことがわかるまで、邁進します。
それは必ず、うまくいきません。
絶対に、うまくいきません。
なぜならそれは、間違っているからです。
自分をやめて、自分じゃない自分を生きることは、ウソだからです。
本当の自分だけが、本当の自分です。
塗り固めたウソの自分は、ウソです。
あなたが一生懸命こしらえた、理想の自分なるものは、ウソです。
それはあなたが一番よく知っています。
本当の自分は、こしらえる必要はありません。
もともとそうだから。
ウソはどこまでいっても、ウソです。
ウソをカバーするために、さらにウソをつく。
どこまでいってもウソです。
ウソで塗り固めれば固めるほど、苦しくなります。
苦しくなって苦しくなって、もうどうしようもなくなるまで、がんばってしまいます。
哀しいけれど、愛しむべき生き物。
それが人間です。
大真面目に崖に向かって突進しているのです。
…
宇宙の真理は厳然としてそこにあります。
情状酌量などありません。
「そう」なら「そう」、「そうでない」なら「そうでない」。
宇宙の真理はハッキリしています。何のえこひいきもありません。
「本当」なら楽しい、「ウソ」なら苦しい。
厳然とハッキリと、なんの躊躇もなく、血も涙もなく断定されます。
あなたが苦しいのは、ウソをついているから。
厳然とハッキリと、その真理を突きつけられるだけです。
真理はあなたの都合など、考慮に入れません。
死のうが何しようが、関係ありません。
そうならそう、そうでないならそうでないと、ハッキリと断定するだけです。
例外も差別もありません。
宇宙がそういう場所なんだから、仕方ありません。
宇宙に歯向かって勝てるわけがありません。
宇宙の中でチリにも満たない我々に、何ができるでしょう?
それより宇宙を味方につけたほうがよくありませんか?
宇宙のやり方に従ったほうが、ハッピーになれませんか?
本当は楽しい、ウソは苦しい。
ただそれだけです。
ウソをやめて、本当の自分に向かうしか、手はありません。
くやしいけれど、残念だけど、今まで歩いてきたその道のりがもったいないかもしれないけれど、180°踵を返して、新たな一歩を踏み出すしかないのです。
ただし、宇宙の流れと同調するなら、進み方は早いです。
流れに逆らうよりも、流れに乗ったほうが早いのは、当たり前です。
…
本当の自分は、変えようがありません。
その上にどんなにウソを塗り固めても、変更は出来ないのです。
認めるしかありません。
ただ認めるしかありません。
変なこだわりは、捨ててしまおう。
「どうでなきゃいけない」などというこだわりは、捨ててしまおう。
あなたはあなたでいいのです。
あなたはあなたに認められるのを待っています。
いつまでも待っています。
ただ単に、待っています。
あなたの変なこだわりだけが、この流れをストップさせています。
あなたひとり駄々をこねているのを、宇宙全体は黙って見守っています。
この場違い感を改めて感じてみて。
「あれ?オレだけが何やってんだろ??」って。
誰も咎めません。
だれも注意してくれる人はいません。
周りはただ黙って、見守っているだけです。
完全にあなたの自由意志です。
どちらを選ぶのも、完全にあなたの自由です。
ある一方を選ぶと「苦しい」を与えられ、ある一方を選ぶと「楽しい」を与えられる。
ただそれだけです。
さあどうします?
アズユーライク。ご自由に、です。
この期に及んでわざわざ苦しみを選択する人がいますか?
相当な物好きですね。(笑)
…
もう十分がんばった。
十分「がんばる」を満喫した。
今、解き放とう。
そして流れに身を任せよう。
小さな一歩から始めよう。
愛想笑いをやめる。ご飯を作るのをやめる、変な圧力に負けない。
おかしいものはおかしい、イヤなものはイヤ、好きなものは好き。
たまねぎの皮を剥ぐように、一歩ずつ自分に向かっていこう。
たとえ立ち止まることがあっても、方向さえ間違えなければ大丈夫。
「自分へ」です。
自分へ向かっていってください。一歩ずつ。
そこは誰にも侵されない領域、神聖なる場所。
日ごとにあなたは、神聖さを自覚します。
そして、どこにも行く必要がなかったことを悟ります。
この神聖さ以外に、一体どこに向かおうというのだろう??
あなたはたどり着きます。
約束の地に。
方向さえ間違えなければ、流れはどんどん加速します。
そしてある日、自分の立っている場所に気づいて、驚きます。
自分は世界であったと。
自分に向かっているつもりが、世界に向かっていたと。
いつのまにか素晴らしい世界を作り上げている自分に、自分でも驚くことでしょう。
コメント