我々が人生でやろうとしていることは、よいものだけを集めることです。
いい会社、いい恋人、いい洋服、いい経験。
人間は常に「いい」を感じていたい生き物です。
じゃあ、何が「いい」なのか。
その人にとって「いい」とは何か。
それは意外と漠然としています。
旨いものをたらふく食えればいいのか。
→ 代償として肥満と病気と抑えられない欲求で、逆に苦しくなることはないのか。
最高の恋人を見つけた。
→ でも四六時中相手のことが気になって、かえって苦しくなることはないのか。
最高の仕事を成功させた。
→ しかし今後その成功に縛られたり、プレッシャーになることはないのか。
いい経験をした。
→ そうじゃない時間のつまらなさが、かえって強く感じられることはないのか。
現実は「いい」も「悪い」も渾然一体となっています。
なにがよくて、何が悪いのか、なんとも言えません。
「よくも悪くもない」
むしろそんな経験が一番多いかもしれません。
「あれは果たして良かったのか」「あれは果たして悪かったのか」
そんな経験も沢山あるでしょう。
…
ものごとは本来、よくも悪くもないものです。
それはただそれです。
しかし、「それはただそれ」はあまりにもつまらないのです。
ただのそれに、様々なストーリーを結びつけ、様々な解釈を施し、人生をドラマチックに仕立て上げないと、生きてる気がしないのです。
そして自らこしらえたワンダーランドで、右往左往し、流転のドラマに翻弄されています。
うまくいったりいかなかったり、最高の後にどん底がきたり、波に乗ったと思ったら溺れたり。
やんややんやとやっているわけです。
しかし、そんなやんややんやに疑問が生じる時も来ます。
「一体自分は何をやっているのか」と。
ハタと立ち止まります。
…
いくら素晴らしい経験を沢山集めても、それはただの経験です。
お金持ちの贅沢な経験も、貧乏人の貧しい経験も、多忙な経験もヒマな経験も、経験という意味では一緒です。
そこに軽重高低はありません。
軽重高低という「見方」があるだけです。
真実はフラットです。
全ての経験は、等しくフラットです。
いいも悪いもありません。
誰かの人生が誰かの人生に比べて優れている。
そんなことはありません。
どの人生もただの人生です。
どれを選んでも一緒です。
何度選びなおしても一緒です。
だから。
それでいいのです。
あなたが今生きているその人生でいいのです。
あなたのその人生は、それ以上ない(それ以下もない)人生です。
「なんだよ、これでいいのかよ」
そうです。
だから安心して生きてください。
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