欲しかったものが全部手に入ったとしましょう。
お金も、物も、人間関係も。
それをリアルに想像してみてください。
その時あなたは、幸せですか?
働かなくていい、お金はあり余るほどある。
どこにでも行ける、何でもできる。
その時あなたは、幸せですか?
全然関係ないですよねぇ。
物質的に満たされることと幸せは、全然関係ないですよねぇ。
「幸せって一体何なんだろう」って、そう思いますよねぇ。
逆に、幸せのためにそういう物質的なものを手に入れなくてもいいとわかると、気が楽ですね。
幸せは、あくせく努力したり、何かを手に入れることとは関係ないと。
…
幸せって結局、心持ちですよね。
幸せな気分。
それが幸せです。
それって、物質的な何かとは無関係だし、何なら外側の何物とも無関係です。
心の中だけの話なので。
どんなにお金を持っていても、物質的に満たされていても、不幸せな人は不幸せだし、どんなにお金がなくても、幸せな人は幸せです。
ちなみに幸せって、面白いということとは違うし、楽しいということとも違いますね。
幸せって、満たされているということ。
不満がないということ。
足りないものがあるという感覚がないこと。
完全にそれでいいと思えること。
それって別に、お金とか物質とか、全然関係ないですよね。
そして、楽しいとか楽しくないとかも、全然関係ないですよね。
周りの状況全部、何も関係ないですよね。
ただ単に本人の心持ちだけですよね。
つまり幸せは、本人次第で達成できるということです。
すごくありがたいことではないですか?
お金は関係ないし、能力も外見も年齢も性別も国籍も関係ないということです。
じゃあどうやったら達成できるか、非常に興味深いですね。
幸せになりたいという人は沢山いますが、それを達成する人はとても少ない。
なぜでしょう?
どういうカラクリがあるのでしょう?
なぜこんなに狭き門なのでしょうか。
…
心をコントロールしていないからですね。
幸せって結局心持ちだというのに、その心をうまくコントロールしていないからですね。
前々回もそのお話をしました。
心が痛いのは、それを放置しているからだと。
コントロールして、望む方向に持っていけばいいと、そういうお話をしました。
幸せについても、全く一緒です。
幸せが心持ちであるならば、心をそのようにコントロールすればいいのです。
具体的にはどうするのかというと、「こういう感覚が幸せだな」という感覚を、いま頭の中に発生させるのです。
おだやかで、何の心配もなく、満たされていて、心地いい。
それについてばっかり、考えるのです。
より精度を上げていくのです。
そしてより深めていくのです。
さらにその時間帯を、どんどん増やすのです。
言われてみればその通りじゃないですか?
言われてみれば、当たり前すぎるほど当たり前の話じゃないですか?
幸せってなんだろう。
↓
幸せって結局、心持ちだな。
↓
じゃあ心をコントロールしよう。
↓
どうやって?
↓
幸せの感覚を、今この場で発生させればよい。
めちゃくちゃ普通で、めちゃくちゃ当たり前の話ではないですか?
逆に今までなんでそんなに難しく考えていたのか謎じゃないですか?
わりと世の中、普通に考えたら普通にわかることばかりです。
しかしながら「幸せの感覚を今この場で発生させることができない」という人もいるでしょう。
こここそが、コントロールです。
「できない」ということは、コントロール不能に陥っているということです。
この「できない」を「できる」に持っていくことこそが、訓練です。
では、どのように「できない」を「できる」に持っていくのでしょうか。
まずそもそも「幸せの感覚がどういうものかわからない」とおっしゃる人がいるかもしれません。
それはウソです。
それはあり得ないハナシです。
なぜなら、「幸せになりたい」と思っているなら、自分なりの「幸せとはこういうものだ」という感覚があるはずだからです。
幸せが何かを知らないで、幸せになりたいなんて思うはずがありません。
自分なりの「幸せとはこういうものだ」という感覚があるからこそ、そうなりたいと思えます。
ハワイが何なのかを知らないで、ハワイに行きたいなんて思うはずがありません。
幸せになりたいという思いがあるなら、自分の中に自分なりの「幸せ」があるはずです。
というわけで、幸せになりたいと思う人全員に、「幸せとはこういう感覚」というものがあります。
あとは前々回のお話と一緒です。
「いま東京タワーを想像してみて」と言われたら、すぐできますね。
「いまお寿司食べるところ想像してみて」と言われたら、すぐできますね。
同じく、「いまその幸せの感覚を想像してみて」と言われたら、できますね。
やっぱり単純ですよね。
どこまでいっても、単純です。
幸せになるためにやることも、やっぱり単純です。
なぜならやっぱりこれも、頭の中の出来事だからです。
頭の中の出来事だから、頭内で完結できます。
あとはやるかやらないか、それだけです。
やること自体は簡単です。
あとはただ単に、やるかやらないか、それだけです。
…
人生に難しいことなんて、何一つありませんでした。
難しいことは結局、自分から難しくしていただけです。
難しく考えたかったわけです。
そっちのほうがやった気になるから。
難しいことが当たり前になっちゃって、今ここで言ったようなことを言われても「はぁ…?」という感じかもしれません。
しかし、今ここで聞いた話は、別におかしな点は何もなかったはず。
全て当たり前すぎるくらい当たり前で、スムーズに読み終えたはず。
しかし、何か釈然としない、キツネにつままれたような気持ちになったかもしれません。
それは、難しいのが当たり前になりすぎているからです。
「幸せなんてそう簡単に手に入るはずがない」と、固く思い込んでいるからです。
いわゆる「謎のブロック」ですね。
幸せは、難しく考えているから手に入らないのです。(笑)
どうして難しく考えてしまうかというと、物理的なこと、三次元的なことと結び付けてしまうからです。
はい、あなた個人でビルを建てたり南極を横断したりするのは、難しいと思いますよ。
しかしここで言っているのは全部、頭の中のハナシですからね。
頭の中だけで完結する話です。
大金を稼げといっているわけでも、芸能人と付き合えと言っているわけでもありません。
物理的労力は何一つないのです。
ここらでひとつ、転換していきましょう。
物理次元から脳内次元へ。
できることはあるのです、しかもめちゃくちゃ簡単なことが。
我々は脳内において幸せになるのです。物理次元ではありません。
このことについてもう一度よく考えてみましょう。
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