天国へ行きたいと思いますか?
天国は死んでから行く場所ではありません。
それは今すぐ、その場で行く場所です。
それは物理的な場所ではありません。
何丁目何番地という場所ではありません。
物理的な空間ではありません。
意識の中で行く場所です。
だからどこにいても、何をしていても行けます。
その招待状をあなたは持っています。
あなただけでなく、世界中の全員が持っています。
あとはただ行くだけです。
ただその場所に行くだけです。
招待状はすでに持っているので、あとはただ行くだけです。
どうやって?
その方法を、今から書きます。
…
それは物理的な空間ではないので、外のどこにもありません。
それはあなたの内にあります。
ですから、あなたの内に向かいます。
内に向かうとはどういうことでしょうか。
それを知るために、まずは「外に向かう」とはどういうことかを知りましょう。
外に向かうとは、外の事に気を取られるということです。
隣の人の咳が気になる、向かいの席のイケメンが気になる、テレビで見たニュースの内容を深く考えてしまう、SNSのタイムラインをひたすら追いかけてしまう、子供の将来が心配だ、自分の将来が心配だ、明日のプレゼンが気がかりだ、そういうことです。
自分の顔や性格が気になるという場合もそうです。
顔や性格は、その人の「外側」のものです。
その人そのものではなく、その人にまとわりついている何かです。
そう言われてみると、我々は大半の時間を外の事に気を取られている事に気がつきます。
というか、普通の人々にとって、外の事は「全て」です。
それ以外に一体何があるの? と、逆に訝しく思います。
大半の人にとって、外の事は全てです。
では内に向かうとは、どういうことでしょうか。
「外に向かわない」ということですね。
外の何にも、気を取られない。
外の何にも気が向わないとしたら、一体向かう先はどこでしょうか。
「内」ですね。内しかありません。
「外」以外のどこかとは、「内」しかありません。
内とはつまり、外ではない唯一の場所ということです。
その外じゃない、唯一向かえる場所に向かいます。
向かっている先が外じゃなければ、それはすなわち内です。
外じゃない唯一向かえる先に向かってみてください。
それは外ではないかどうかをチェックしてみてください。
外であるなら、そこじゃない場所へ。
外であるかそうでないか。
そこに着目してみてください。
「内ってなんだろう」と考えることは、その考えに気を取られるということです。
そして考えは全て、外側のことです。
考えるということはつまり、外側のことに気を取られるということです。
考えるのではなく、そこへ向かうのです。
そこへ向かうとは、それについて考えることとは違います。
ただ単に、そこへ行くのです。
パーティ会場に向かうのです。
パーティ会場に向かうことは、「パーティ会場に向かうことを考える」とは違います。
それについて考えるのではなく、実際そこへ行くのです。
唯一行ける場所。
外ではない、唯一行ける場所。
そこは自分の中心です。
外ではない唯一の向かえる場所は、そこしかありません。
はい、そこが天国です。
…
ピンときませんか?
何か南国のようなパラダイスを想像していましたか?
何か温泉に浸かるような心地よさ、何か光に包まれるような恍惚。
そういうものを想像していましたか?
そこは想像の範囲外の場所です。
想像とはすなわち、頭で考えた場所です。
天国がそんな人が頭で考えたような場所であるはずがありません。
それは普通に考えてもおかしいですね。
さて、自分の中心。
そこはどんな場所でしょうか。
何もありませんね。何もありません。
今までと変わらない日常がそこにあります。
まばゆい光も、恍惚の陶酔も、何もありません。
今までと変わらない日常がそこにあります。
では何が変わったのか。
それを見る視点です。
立っている場所です。
それを見る視点が180°変わりました。
同じものを180°真裏から見るのです。
全くつまらないと思っていた同じものが、180°真裏から見ると、輝いて見えます。
夜の裏は昼です。
新たなものがそこに出現するのではありません。
全く同じもの、まるっきり同じものが、見え方が180°変わる事によって、素晴らしくなるのです。
そこに天国が出現するのです。
今までとまるっきり同じものが、天国に早変わりするのです。
逆に今まで価値を置いていたものは、180°真裏からみると、しょーもなく見えたりします。
今まで美徳とされてきたことが、実にくだらなく思えたりします。
意識の転換です。
天国とは、ポジションです。
それを見るポジションです。
そこから見るとそう見えるというポジション。
それが天国です。
…
あなたがイヤな気分を味わったり、いい気分を味わったりするのは、全て外側の出来事に於いてですね。
あの人がこうだったから私は悲しいとか、この状況がそうなったから私は嬉しいとか。
あなたの不幸や栄光は、全て外側と結びついています。
その外側を全部捨てるのです。
外側に気を取られるのをやめる、内に向かうとは、そういうことです。
外側は良かったり良くなかったりいろいろですが、内側は必ず良いのです。
内側は良いしかありません。
なぜなら宇宙は善だからです。
宇宙は全て肯定でできています。
全て「それでいい」でできています。
それがそこにそのようにあるという時点で、すでに肯定です。
それはそれでいいから、そこにそのようにあるのです。
その立場にあなたが立った時、全ては「それでいい」です。
これが天国です。
全てをあるがままに完璧に認める時、そこが天国です。
「良さ」の質は、外と内では全然違うのです。
外の「良い」は、良かったり良くなかったりする中での「良い」です。
相対的な「良い」です。
内の良いはそれしかありませんので、絶対的な「良い」です。
そこにいれば良いでしかあり得ないという、良いです。
そこ。
すなわち天国ですね。
良いしかない。
それってすなわち、天国です。
あなたはそこへの招待状を持っています。
生きている時点ですでに全員、持っています。
なぜなら生きているなら「内」が必ずあるから。
存在というものがそもそも、「内」だからです。
パーティ会場を、あなたはそもそも持って生まれているのです。
そこへ行く、行かないは、完全に自由です。
無理に行く必要も、ありません。
ただし、行きたい人は全員行けます。
何しろ招待状を持っているので。
というか、パーティ会場自体を持っているので。
あなたは招待客というよりもむしろ、主催者です。
出入り自由です。フリーパスです。
会場は外にはありません。
内です。
そこに向かうだけです。
コメント
天国は今、ここにあると言われる。それを感じられないのは天国にいると「知らない」から、知らないことは経験できない。天国にいると「知れば」それを経験できる。言葉にすると短い、しかし、もちろんそんな簡単なはずはなく、幻想は無限の深さと奥行きという誘惑を持っている。この誘惑を振り切った者だけが天国を経験できる。