「何もしない」「無抵抗」こそが真の解決であると、最近よく言っていますね。
しかしです。
「とはいえ」ですよね。
わかるよ、言っていることは、わかるよ。
でも、とはいえ、ですよね。
とはいえ一時的な満足は得たいし、苦痛からは逃れたいし、おいしい思いはしていたい。
抵抗はおこるし、何かしたい、しなくちゃいけないという気も起こる。
「何もしない」「無抵抗」なんてムリ!
そう思うのが、普通の人の感覚です。
…
でも、「それすら」なのです。
それすらそのままにしておくのです。
一時的な満足を得たい、苦痛からは逃れたい、おいしい思いもしていたい。
それすら、そのままにしておくのです。
抵抗はおこるし、何かしたい、しなくちゃいけないという気も起こる。
それすら、そのままにしておくのです。
ですから、本当にもう、「何もしない」です。
文字通り、字義通り、「何もしない」です。
何かしなくちゃという思いも、そのままにしておきます。
実際に何かしちゃう行動も、そのままにしておきます。
…
「それって結局今までと何も変わらないんじゃん?」
そうです、何も変わりません。
何かを変えようとしないわけですから、何も変わりません。
何かが変わるとしたら、それに「気づいている」かどうかです。
以前は、自分がやっていること、自分の状況に気づいていませんでした。
何をやっているか、何が行われているか、何がどうなっているか。
五里霧中でした。
でも今は、気づいています。
やっているのは以前と同じことですが、今はそのことに気づいています。
そしてそれを許しています。
善も悪も、清も濁も、良も否も、可も不可も。
ぜんぶひっくるめてそれに気づき、その存在を認め、それをそのままに、許しています。
…
悲しみがそこにいるのを、ゆるしています。
苦しみがそこにいるのを、ゆるしています。
空しさがそこにいるのを、ゆるしています。
あなたにゆるされて、その子たちはホッとしています。
誰にも歓迎されないその子たちは、あなたにゆるされて、ホッとしています。
でも、本当にホッとしているのは、あなた自身です。
「それらに対する抵抗」という圧力から解放されて、一番ホッとしているのがあなた自身です。
悲しみ、苦しみ、空しさは、それ自体は悪じゃありません。
それに対する抵抗が、あなたを参らせます。
あなたをヘトヘトにさせます。
だから、ゆるそう。
全てを、ゆるしましょう。
そしてあなた自身を、解放しましょう。
怒りも、ゆるそう。
孤独も、ゆるそう。
抵抗も、ゆるそう。
それそのままに、全てゆるそう。
許すということは、それがそうであることをただ認めるだけ。
それがつまり、「何もしない」「無抵抗」です。
…
起こっちゃだめなことは、何ひとつありません。
起こっちゃだめなことが、そもそも起こるはずもありません。
起こったということは、起こることを許されているということです。
起こったことをそのままにしておくということ、何もしないということはすなわち、それがそうであることを許すということです。
「それがそうであることを許す」
それがそうであることが許せないということすら、許します。(笑)
文字通り「全て」です。
許そうが許すまいが、全てのことはその通りに起こっています。
あとはあなたの選択次第。
許すことによって世界に同調するか、許さないことによって世界に反抗するか。
…
いえ、それが起こっているということは、あなたはもう許しているのです、実は。
宇宙の一部であるあなたが宇宙の運行に反抗するなんて、そもそもナンセンスです。
それは飛行機に乗っていながら飛行機を持ち上げようとするようなナンセンスさです。
許さないという選択肢はなく、許していることをただ認めていないだけです。
あなたの許す許さないに関わらず、宇宙はそのまま運行しています。
いえ、あなたの許す許さないすら包含して、宇宙はただ運行しています。
結局苦しみは独り相撲です。
人は勝手に判断し、その勝手な判断に、勝手に縛られたり痛めつけられたりしています。
自分の手で自分を殴って、痛がったり悲しんだりしています。
傍から見たら「何をやっているのきみは!?」というようなことを、人類総出で夢中でやっているのが、現在の地球の状況です。
それは苦しみだけじゃなく、喜びも悲しみも、人間活動すべてがそうです。
「…目、覚まさない? そろそろ」
許すということは、宇宙の運行に同調するということです。
そのときあなたは、初めて目が覚めるでしょう。
宇宙と一体となって初めて、宇宙の何たるかを知るでしょう。
独り相撲に気づくでしょう。
「なんだよ、なんにも頑張る必要なんかないじゃないか」
「すべてはそのままに最高だったじゃないか…」
コメント