チャレンジとは具体的な行動ではない

ちなみにチャレンジって、具体的な行動のことじゃないからね。

「こわいけど勇気を振り絞って一歩を踏み出す」みたいな。

それがチャレンジではありません。

 

チャレンジって「本当の自分を取り戻す」こと。

それがチャレンジです。

その結果、いままでやったこともないような行動に踏み出したりするわけです。

 

決して行動が先じゃありません。

あせって行動しないでください。

そんな行動は無意味です。

 

自分であることの結果としての行動

それが本当のチャレンジです。

それ以外のやみくもな行動、「やればいいんでしょ」的な「やること」にフォーカスした行動は、無意味です。

まあ無意味であることを理解するためにやってもいいかもしれませんが。

 

チャレンジっていうと、「やること」にフォーカスしがちです。

何をやるか、どれだけぶっとんだことをやるか。

 

でもやることが重要ではないのです。

重要なのは、どれだけ自分自身でいられるかです。

それこそが本当のチャレンジです。

 

 

自分は本当はこう言いたい、でも周囲の反応を気にして言えない。

その時が本当のチャレンジの時です。

そこが勇気を持って一歩を踏み出すタイミングです。

自分自身であることが試されている瞬間です。

そこで本当に言いたいことを言うのが、真のチャレンジです。

 

 

チャレンジの意味を間違えないようにしましょう。

やるためだけにやるのは無意味です。

本当はやりたくないことを、チャレンジと称してやるのは、無意味です。

 

怖くてもできたからスゴイ、となりがちですが、恐怖を乗り越えることがスゴイのではありません。

恐怖を乗り越えることでやった気になるかもしれませんが、完全に的外れです。

 

どんな状況でも自分自身であることがスゴイんです。

そのためには必ずしも恐怖を感じる必要はありませんし、感じなくてすむならそれに越したことはありません。

 

どんなに四面楚歌の状態であっても、どんなに常識の荒波が押し寄せてきても、涼しい顔して自分自身でいられるのが、あっぱれなのです。

恐怖とか関係ないから。

 

何かをやる前に、それは本当にやりたいことなのかどうかをよく点検してください。

大事なのは、「やりたいこと」かどうかです。

それをやることで真に自分自身でいられるかどうかです。

 

どれだけ自分自身であるか

自分を最大限発揮していくことが真のチャレンジであり、行動はそこに付随するものです。

 

見るべき点は、何をやるかという「外」ではなく、自分自身がどうであるかという「内」です。

常に、内です。

うっかり間違えないよう、注意しましょう。

 

 

だから、具体的な行動は何もやってなかったとしても、チャレンジは継続中なのです。

内を見つめ、内を見つめ、真の自分自身が何であるかを見極めようとしているその時、チャレンジは継続中です。

 

そして、真の自分を見つめている時、行動は勝手に起こるものです。

真の自分自身であるとき、行動は勝手に起こります。

 

例えば先ほどの言いたくても言えないという状況。

この時、普通であれば、怖いけれどもそれでも頑張って言うことがチャレンジです。

しかし、真に自分自身に鎮座していれば、怖いもへったくれもなく、すでに言っています。

何の抵抗もなくスムーズに、考えるまでもなく、すでに言っています。

 

なぜなら視点が違うからです。

「怖い」というのは、エゴの視点です。

しかし、真の自分に居る時、怖いということは微塵も思い浮かびません。

それよりも「当たり前」です。

それをやることは、当たり前すぎて、何のひっかかりもありません。

呼吸するように、思ったことを言っています。

 

真の自分に居る時、行動は「起こる」のです。勝手に。

頑張って何かをやるのもいいですが、頑張らなくても勝手に起こるなら、そっちのほうが楽でスムーズでいいですよね?

 

ですから、行動にフォーカスする必要はありません。

それよりも自分自身にフォーカスしてください。

 

行動は起こすものではなく、起こるもの。

行動よりも、自分自身です。

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